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3-Nの軌跡
以前は『メンタルヘルスケア日記』でした。 ※『3-N』とはカネない、モテない、ツイてないの意である
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足跡 その29
ずいぶんと日にちの間隔が空いてしまったが、本日から足跡シリーズの続きを書いていこうと思う。
このシリーズもずいぶんと時間軸が現在に移行しつつあるのだが、多分ここぐらいから新たな出会いも多くなっていくし、残念ながら別れも多くなっていく。多少その事に関して記載するのをためらう部分があったりもするのだが、なるべく楽しんで読んでいけるよう工夫を凝らしていくつもりなのでどうぞ気長に読んでいってもらいたい。

それでは留年が確定した大学4年生(1回目)の頃からのお話をしていこう。
ちなみに当時のうちの大学の学年の移行の仕方は「1、2、3、4、4、4、4、4」という感じで進級(?)していってた。


復習の意味も込めて大学4年生(1回目)現在LV21の私のアビリティをおさらいしておく。

所属バンド
・神威
・大学のサークル内の面子で結成したガールポップバンド


バイト先
・中華料理の配達(青山付近でまかない付き)

居住地域
・東京都大田区大森

学力
・人並み以下

財力
・雀の涙
(親から「教科書代が欲しくて・・・」と泣きついて生活費にあてるという情けない現状。年に4,5回くらいたかってた。)

サークル内におけるポジション
・部長引退につきお気楽OBサークルのライブでは自分が今気になってる音楽のコピーや、ボーカルなんかをやってた。

当時ドップリだった音楽
・「Red Hot Chili Peppers」
・「SBK(スケボーキング)」


となぁざっと整理するとこんな感じである。


所属バンドに関しては「神威」の方は相変わらずのライブラッシュで、平均で月に2~3本はどこかでライブしてた。しかもその行動範囲は広がっていき、関西のライブハウス(京都、大阪、神戸)の方に3ヶ月に1回は向こうでライブしていた。

この年は自分にとって色々な物を得た時だと思う。正式に入って約1年が経ち、バンドとしての基盤も固まりつつある時にいきなり未開の地である関西方面への遠征。場所や環境が今までとは全く違う状態において、自分がどのようにして体力やモチベーションを維持するのかを学ぶいい機会だったと感じる。
あと、車での長距離移動どんな状態でも寝れるというのにも耐性が出来た。


ホントこの時は
「いや~、関西疲れたけどたのしかったなぁ~。」
なんて振り返ってしばし安堵してると、
「やべっ、来月にはまた行くんだ。」

とスキを見せるとすぐに次のツアーが待っている状態だった。

もちろん都内でのライブも何ら変わりなく行われ、関西から帰ってきて2、3週間後にはまた都内でライブなんてのもザラにあった。

この頃の音楽性はベースの人との相性も良かったので、リズム全体に「ファンク」色が強くなって、ますますレッチリっぽくなってた。
ドラムのスキルに関してもベースの人が元ドラマーという事で色々な注文や厳しい目が光ってたので、気を抜く事なくスクスクと伸びていった(気がする)。

学んだ物、得ようとしたい物をリハーサルで試し、それが出来る様になれば本番で即実践。そのサイクルが以上に早かったので改めてこの頃は吸収する事が多かった時期だと思う。

とまぁ神威に関してはそんな感じで、とにかく「ライブが多かった!」という思い出だった。そしてこのあたりから仲のいいバンドの数も徐々に増えていった気がする。都内もとより関西方面にも友達が出来始め、2回目の対バンとかが多くなり更に親交が深まっていくのであった。



そしてもう一方のサークルのバンドの方は、スタジオに籠る日々が結構長い間続いていたのだが、ようやく秋口位からライブをしてみようかという話になった。

もちろん最初はオーディションライブを受けるのだが、私自身も初めての事でかなりドキドキしていたのを覚えてる。記念すべきライブハウスは確か「下北沢屋根裏」で確か土曜か日曜の昼だった。

不健康真っ盛りの学生生活において午前中に起きてしかもライブをするというのはもの凄く過酷な条件だった。まだ眠いまぶたをこすりながらお日様がカンカン照りの下北沢を歩き、新しい出発に向けて徐々にテンションを上げてライブに挑もうとするのであった・・・


続く

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