3-Nの軌跡
以前は『メンタルヘルスケア日記』でした。 ※『3-N』とはカネない、モテない、ツイてないの意である
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足跡 その15
前回の日記にもある通り高校3年の11月から急に受験勉強を始めようとブームに乗り遅れすぎの私。果たして大学受験の結果はどうなってしまうのか?
本日の足跡は直接音楽に関する事は少ないかもしれないが、これを経た後に卒業ライブへと話が進んでいく事になるのでどうかご愛読あれ。


とりあえず気合いを入れて勉強を始めた訳だが、全くをもって基礎がなっておらず泣く泣く高校1年の教科書からやり直さなければならない体たらく。それでも3ヶ月後には自由を勝ち取ってやるんだという意気込みで受験勉強に取り組んでいた。

この11月~2月までの3ヶ月間はみんなの溜まり場として市民権を獲得したY君のお宅には寄らず、学校と家を往復する毎日が続いた。とはいえドラムの練習を止めた訳ではなく、学校に行けばクラスメイトのT-K君からバンドやらドラムの事を教えてもらい、家で勉強の合間にちょっと練習する感じで細々とではあったが続けていた。

当時の模擬テストでの志望校の判定はオール「E」(簡単に言うと「バカはもう諦めろ」) で親の枕がビショビショになるくらいがっかりさせていたのだが、12月に入ったあたりのテストでは「B」(簡単に言うと「まぁいんじゃね?」)や「C」(「運次第」)判定と徐々に希望が持てる結果になっていた。

それもこれも
「決して無理はしない」
というのを前もって決めていたからだと思う。クラスメイトとかは「今の自分よりも高いところを受験しよう!」と向上心旺盛な方々が多かったのだが、そうなるとやはり判定もなかなか辛い結果になり、勉強はすれどテンションは下がっていき気持ちに余裕がなくなって負のスパイラルに巻き込まれてる人も少なくなかった。

しかし今回の私の場合の目標は

「ハイレベルな大学に行く」

ではなく

「とりあえず東京に出るきっかけが欲しい」

だったから、選択科目もガンガン簡単なのにシフトチェンジしていった。あとはやはり高校受験に失敗した苦い経験もあったため、危ない橋はなるべく渡らないようにしてた。

その後の成績も徐々に右肩上がりになり、「センター試験」を向けた頃にはそのピークに達していた。結果は自分でも驚くぐらいの内容であったし、志望校の判定結果もここで初めて「A」(「お見事~!」)を記録したのであった。
そういう経緯を経てが先日書いた「プチホテル暮らし」に話がつながっていくのである。

とまぁ勉学に関して大まかに話すとこんな感じだったのだが、やはり中学3年の時からほぼ毎日通っていたY君宅にも行きたかったし、ドラムもでっかい音を出したくてしょうがなかった。けど短い期間ではあったがあの時に我慢出来てよかったなと改めて思った。(今まで生きてきた中で一番勉強した期間でもあったし)

こうした紆余曲折を経て高校卒業後の自分の進路も決まり、中学校から付き合いのある友達全員の進路も決まった(ちなみに自分が一番結果が遅くて心配かけた)。となると当然次に起こすアクションはY君とK君で約束した「卒業ライブ」に向けて活動再開し今までの鬱憤を晴らすが如くリハーサルを重ねていくのであった・・・

そして「ボーカル不在」「バンド名未確定」と活動に大いに問題あるバンドがこの後急転直下で時の車輪を回し始めていくのだが・・・








この話はまた後日。

続く

3104

大学試験がすべて終わったあとで久しぶりに3人(Y君、K君、自分)でスタジオに入ったら、あまりの爆音に耳がキンキンした・・・慣れというのは恐ろしいものである・・・


追記:よくよく読み直してみると中学からの友達「K君」がいて、高校のクラスメイト「K君」だった事に気づいた。

ちなみにこのK君は同一人物ではないため

・中学からの友達 → K君  
と変わらず
・高校のクラスメイト → T-K君
と変更させてもらった。お見苦しい点があって非常に申し訳ない・・・
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