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3-Nの軌跡
以前は『メンタルヘルスケア日記』でした。 ※『3-N』とはカネない、モテない、ツイてないの意である
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秘密の扉 その2
~前回までのあらすじ~
何故かとある時期からクラスの学級委員に任命される事が多くなり、ますます形見の狭い思いをしてた学生時代。
小学校6年の時にも学級委員をやらされ、いやいや参加した生徒会の会議でひょんなことから生徒会長の推薦をさせられた悲しき運命の持ち主であるところの筆者。
このまま対抗馬が出てこない状態だと益々やばくなる環境に立たされた今、他の人が挙手するのを固唾を飲んで見守るのであった・・・


しかし教室内を包むどっちらけな空気と、一度は勝ち取ったがオトナの力でノーコンテストにさせられたE君の推薦とあれば、誰もが横槍を入れ辛い環境になるのは当然の事。しかもE君の推薦の際に、

E君「一見派手じゃない顔だけど、頭良いんで何とかしてくれると思う。」

といったかんじの褒めてるのかそうじゃないのかよくわからない応援演説をしてもらい、これがクラスから笑いがこぼれTHE END・・・
結局期待してた対抗馬が出現することなく、とてつもない罰ゲームを引き当ててしまったのであった・・・

そっから先は何かとめんどくさい日々が幕を開けたのは言うまでもない。学校参加のイベント「運動会」やら「発表会」等での挨拶や委員会での司会進行と何かと公式な場での登場が相次くことになる。
確かにこれらの行事ごとに関しては大変だった。特に運動会の挨拶なんかは屋外で音響設備が整ってない環境ということもあり、やたらと会話にエコーがかかって喋りづらかった記憶がある(予行演習でもボロボロだったし)。

しかしそれよりも何よりも普段の生活に関して監視の目が10倍以上厳しくなったのが辛かった。
当時6年生の担任は個人的にも相性が良くなかったのも相まって、事あるごとに

「生徒会長のクセにお前は何をやってるんだ!!!」

という言葉を浴びせられた。最後の方なんかは特に自分が関係ないことでも「お前がしっかりしないから・・・」的な感じでついでに怒られてた。
ホント昨日も書いたのだが、いくらなんでもあんまりだろ?元々優等生タイプの人間ではないし、人の見本となるにはDNAをいぢらなければいけないくらいどうしようもない人間にあれこれ押し付けすぎだろ!?と怒鳴り散らしたかったが、POISNばりに言いたい事も言えない世の中だったので、その反動でドンドン人として燻ってく時期に突入していくのであった。


今でもあの経験が人生の糧になったとは思ってない。しかも卒業まで何とか凌いで、

「これで晴れて自由の身だぁ!!!」

と思ったのも束の間、中学校の入学式でも新入生(1学年:400人程)+父兄の前で何か喋らなきゃいけなくなったり、それが後を引いてその後の学生生活も何かと学級委員に割り振られたりとドブさらいな日々は続いていた。

さすがに3年の時の生徒会長は複数の立候補者がいたし、私自身も死んだ魚の目に変化してたのでさすがになることは無かったが、もうああいった類の事はやりたくないなと心底思う6年間であった。
実際内申書とかもどうなってたのかは解らないし特別知りたくも無いのだが、学級委員やってるからプラスになってたかもしれないけど、やる気や協調性などに少々の難があるから差し引き0かもしくは軽くマイナスかなと私自身は予測してる。


まぁ人によっては

「クラスの皆をまとめる事が生きがいだった!!!」

とか

「人の上に立つ事の重要さを知った。」

とかポジティブな発言が出そうだが、個人的にはハッキリ言って


「百害あって一利なし」


がしっくり来る表現である。ホント飲み会のネタにもならないからこの場で吐き出して成仏してもらおうって位の扱いである。
本当はドラえもんにおけるスネ夫的なポジションで権力者の陰から

「そうだ!そうだ!!」

って吼えてるのがちょうどいい気がするのだが・・・


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ちなみに高校はめでたくどんな役職にも着いてない。あまりに顔に覇気を感じられなくなってたし、ガリ勉達が集うコミュニティーに間違って入った私は、終始溶け込む事も出来なかったから当然と言えば当然であるし、こっちの方が個人的には落ち着く。

やっぱり人には向き不向きがあるのは紛れもない事実である。
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