3-Nの軌跡
以前は『メンタルヘルスケア日記』でした。 ※『3-N』とはカネない、モテない、ツイてないの意である
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足跡 その34
本日は高円寺GEARにて「大音乗」「MSP」のライブを見てきた。今回は大音乗のイベントということで会場の雰囲気も暖かくたくさんの知り合いがいた。

ライブも異様に熱く盛り上がっていたので、私も
「早くライブして~な~。」
なんて思いながら各バンドのライブを楽しんでたし、音楽はやっぱいいな~と改めて思う日であった。


そんなこんなで本日も「足跡」の足跡を残していこうと思うので、ごゆるりと御覧あれ。

相変わらずバンド漬けな毎日を過ごしていた私だが、勉強の方は既に取りとめのないところまで下がってしまい、もはや人数分のワリカンを計算するぐらいしか脳が働かなくなってしまった。
とはいえ悲しきVIP待遇のおかげでひょいひょいと必要単位は獲得する事が出来たので勉強面は対して問題にはならなかった。
しかもそのおかげで2003年の3月に卒業の予定だったのが、何とか2002年の9月30日で卒業が可能になったのである。

早かろうが遅かろうが大して差は無いのだが、2回目の4年生を迎えたら「親の仕送りが大幅カット」という非常事態が起きたのでなるべく早くお金が欲しいという隠れた事情もあった。


そんな事に不安を抱きながら迎えた日韓ワールドカップ開催2002年「神威」の活動の範囲は関西方面だけでなく、関東近郊や仙台の方まで広がっていた。


しかもこの時印象的だったのが、


















神戸でライブした一週間後にまた神戸でライブ!!!

というすさまじいスケジュールが組み込まれていたことである・・・
今考えても恐ろしいほどの強行日程である。


そんな生活習慣を営みつつ、東京にいるときは大抵「キャプテンメカゴヂラ」「神威」のリハーサルでスタジオに篭る日々が続いてた。

そして外の気温が暑くなってきた7月頃。遂に「キャプテンメカゴヂラ」の初ライブが決定した!!!会場はなんと・・・




































渋谷クラブクワトロ

という初ライブなのになんでそんなデカイ所なんだと思ったが、記念になるかな?というよこしまな期待の元リハーサルに益々熱が入っていくのであった・・・


果たして初ライブ初クワトロはどうなってしまうのか?次回を待て!!


続く

3104
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ここ最近の話
私とかかわり合いの深いバンド

「MSP」

「COAL SACK」

に新たな風が吹き込んだようである。(MSPはギタリスト、COAL SACKはドラマー)

どちらもメンバー募集に苦労してたのを知ってるから私自身も嬉しい。

また新たな形態となった2バンドの音がこの東京の夜に響きわたるのを心待ちにしている。


本当におめでとう。

3104
ずっと待ってた
デトロイトメタルシティ 3巻発売!!!

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今回も期待を裏切らない内容に大満足!!!相変わらずクラウザーさん最高である。


またこれ以外のお気に入りマンガも発売してたのでまとめて購入してしまった。


あずみ 41巻

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相変わらずこの話は切ないがずっと読みふけってしまう。主人公の純粋さと葛藤が私の心を鷲掴みである。



夜回り先生 5巻

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これは読むたびに涙が止まらない。本当に一度は読んでもらいたい作品である。


この他にも古い作品だが、

「め組の大吾」(文庫本全巻購入)

「BANANA FISH」(友達から借りて一気読み)

なども最近読んだ。子供の頃はいい年になったらやめるのかな?なんて思ってたのだが・・・



















年取った今の方が読んでいる
事に驚きである。

漫画は今も昔も面白い。

3104
足跡 その33
遂に動き出したサークル内結成のオリジナルニューバンド。しかし前回の冒頭でも触れた様にビジョンバンド名も決まってない状態だったし、メンバー間の親交を深める意味合いも込めてミーティングと称して




「我が家で鍋パーティ」



を開催する事にした。(人の家で鍋という金のない学生の典型的な飲み会である。)


とりあえずの解決しなければいけない問題としてあった
「曲」
についてだが、オシャレなポップスをやろうという方向で落ち着いた。
私個人としても「神威」でファンクミクスチャーやらヘヴィーな曲調が多かったので、ここはガラリと変えて「歌モノ」をやってみたいという欲求が強かった。

また曲作りに関してもメンバー全員で知恵を出し合って進めていく方向で当分はやって行こうという話でまとまることになる。その為このバンド用の曲は今後スタジオで作り出していこうとなった。



さて次に決めなければいけなかったのは
「バンド名」(個人的にこれを決めるときが一番楽しい)
だったのだが、これは曲の方向性を決めるよりもかなり難航し一向に決まらなかった。
そんな時Y.M君からの発案で、

Y.M「みんなのそれぞれで活動してたバンドのライブ映像を見て、どんなステージになるのかイメージしてみよう」

というのが今回あったので、バンド名問題は一旦保留にして各自の嬉し恥ずかしライブビデオを見る事になった。

当然パーティー会場は我が家なので自分が率先してビデオの準備に取りかかっていると、ビデオデッキの中にテープが入っているのに気付いた。一瞬忌まわしい過去の記憶がよみがえり、多少たじろぎつつも運命の取り出しボタンを押してみると・・・


















出てきたのは運良くエロスなビデオではなかったが、




















かわりに「ゴジラ対メカゴジラ」
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という私が愛して止まない名作映画がモロンと飛び出してきた。
ホッと胸をなで下ろしつつ、


森「あ~、TSUTAYAで借りたまんまだった。近いうちに返しにいかなきゃ。」


なんて思いながら片付けようとしたら、不意にとあるゲームが目についた。その作品の名は・・・

















「キャプテン翼4」

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というソフトだった。すると次の瞬間頭の中で電流が走り・・・





















「キャプテンメカゴジラ」


という名前が頭から離れなくなってしまった・・・もうこれ以外は考えられないという感じになり、メンバーの多少の抵抗はあったもののバンド名が


「キャプテンメカゴヂラ」
(ジ→ヂに変更)

に落ち着く事になった。


そして各々のライブ映像を見て笑ったり、新たな発見があったりと有意義な時を過ごしながら、新しいバンド「キャプテンメカゴヂラ」が産声を上げたのであった・・・



続く


3104
足跡 その32
~前回までのあらすじ~
雨後のタケノコの様に右も左もオリジナルバンドだった大学のサークル内もいつしかその数が減り、結構な人達が新しいバンドを模索してる状態に気付いた大学4年の秋(1回目)。
かねてから気になる存在で且つ恩である同期のY.M君(ベーシスト)もバンド活動が一区切りついていた。解散してからまだ2ヶ月と日が浅かったのだが、思い立ったが吉日がモットーの私はすぐさま新バンドの話を持ちかけたのであった・・・


彼と一緒にバンドがやりたいという衝動のみで突っ走ってしまったせいで、ハッキリ言って何のビジョンも持ってなかった。けれども何とかなるという気持ちだけは揺るがなかった。

とはいえ彼の最初の返事はビミョーな「NO」.
やはり解散を引きずってるようだったし、急な話だったので時間をくれとの事だった。けれども本格的にメンバーも決まったら動き出すよ、という心強い返事をもらう事に成功した。

となると今度は他のメンバーの捜索をしなければならない。やはりこの時心の奥底ではオリジナルメンバーは同じ大学内からという願いがあったので、学園祭の期間中はずっとボーカルギター候補を探していた。

そんな中大学内でその歌唱力に関しては誰もが認めるボーカリスト(女性)を発見した。彼女(Nさん)は私の1学年下の後輩だったが、それまで余り話をした事がなく3年の歳月を経てようやく話をする事に成功。彼女も元々組んでたバンドが夏頃も解散したようで、今後の音楽活動をどうするか考えていたようであった。

まさに渡りに船、早速Y.M君とのバンド話を持ちかけてみると・・・
















快くOKを貰う事が出来た。



最後のピースとなるギターに関しては2人の強い推薦があった2個下の後輩S君にお願いしてようやく新バンドの結成までこぎ着けた。



こうして約半年のブランクを経てまた2バンド掛け持ちの状態になったが、今回も「神威」のメンバーの許可も問題なく取れて、また多忙な生活サイクルへと移り変わっていく。

ちなみに今回はバンドの結成の発起人となってしまったので、このバンドでリーダーを努める事になってしまった私。
未だ経験した事のない立場で期待と不安に胸を躍らせながら、自分の今後の音楽人生への大きな一歩を踏み出していくのであった・・・



続く


3104
足跡 その31
またずいぶんと間が空いてしまったが本日は久々に「足跡」の続きを書いていこうと思う。時間軸は2001年の春、1回目の大学4年生の頃の話である。(その30の最後で2002年と書いていたが記憶違いだった、申し訳ない。)


さて、前回までの話ではガールポップバンドがようやく夜の部に出れるようになり、ライブ活動や製作活動も順調に行くと思われたのだが、とある日の打ち合わせにて・・・






















私がバンドを抜けることになった・・・


まぁ理由や原因は色々あるがここでの名言は避けておく。きっとお互いが考えたことに差があったと思うし至らない点もあったと思う、けどこれを糧にまた次の段階に進めることを祈りつつそのバンドと袂を分かつことにした・・・



ぶっちゃけかなりショックだったのは今だから言える話にしておく・・



とまぁこのような展開があり、所属バンドは神威のみとなり、プチ寂しくなった気がするのだが、前以上にライブの本数が増えて月3本が平均になっていた・・・

バイトスタジオライブに追われる毎日を繰り返すうちに季節はめっきり紅葉が綺麗な秋に差し掛かった。

そうなると音楽サークルの年に一度のメインイベントである「学園祭」がやってきた。去年は部長だったので、ストレス睡眠不足でぐったりしながら3日間を過ごしてたのだが、今年はレジェンド入りということで、準備も顔出す程度で済み、ライブも好き勝手にやってた。


そんなやっと手に入れた自由を満喫していると、以前よりも後輩や同期と話し込む事が多くなった(仕事しなくていいんだけど、ウロウロしてたから)。すると少し前に起きてた「オリジナルバンドブーム」で結成してたバンドに解散が相次いでいることに気付いた。


そんな煽りの中、私が神威に入るきっかけをくれたY.M君(過去日記参照)のバンドも解散していたことを知った。


前々から魅力的なベースを弾いていた彼とは学校内でのコピーバンドで組む回数が異様に多かったが、オリジナルでは未だに無かった。

「これはチャンス!!」

と思い、私とバンドを新たに立ち上げてみないかという思いをぶつけてみた・・・


(神威に対して不満があるわけではなかったが、また違った角度から音楽をやってみたいという思いは常にあったし、今まで2つ何とかこなす事が出来たのだから大丈夫だろうという考えがあった。)



バンド名ジャンルメンバーもまだ何にも決まってないのに無茶な誘いをした私に待っている結果は・・・



次回の足跡シリーズでお知らせしたいと思う。



続く


3104
なんでそうなるのかね・・・
足跡シリーズをまた記憶をたどりながらチマチマ書いてこうと思ってたのだが、昨日の日記で触れた「彼氏と彼女の事情」の際に素晴らしい出来事があったのを思い出したので、本日はそれを綴っていこうと思う。



とある恋人達がちちくりあう記念日の事。

その日は当時付き合ってた彼女と過ごす事となり、「これで我輩も人並みの幸せを体感できるんだ」といきり立ち、昼から渋谷だ原宿だでプレゼントを買物しつつ時間はあっという間に夜になった。

もちろん夜は彼女自慢の料理を振舞ってくれるという事だったので、買物の帰り道のスーパーで今日という日を祝う為の食材を買いあさり、気付けば2人とも両手がふさがる位の荷物の量になってた。


時期はちょうど冬の寒い日だったので

「早く帰って飯くいて~。」
とか

「家で暖まりて~。」

なんて言いながら我が家に帰ってきた。


いつもどおり鍵を開けて玄関の電気をつけてみると・・・





















玄関の電気がつかなかった・・・





森「あれ、電球が切れたかな?」

なんて思いながらスイッチをバチバチやってみるものの、うんともすんとも言わない。

まぁでも慣れた家だから気にしないで中に入ろうとしたら(フィギアを1年前にあげた)彼女(便宜上Aさん)から、



A「なんか郵便受けに入ってるよ。」

と言われて調べてみると・・・
























「電気供給停止」のお知らせ・・・



















電気止められた!!!





昼に買物のために家を出てから20分後に止められた情けない事実。しかも今すぐ払っても明日にならないと復旧しないというダブルパンチ・・・


電気は付かないし、暖房が付かないし、せっかく買った食材も調理できるはずもなく冷蔵庫に保管・・・






しばし彼女との間に沈黙が流れたのは紛れのない事実である。それをどうにか打開しようとして




森「コンビニ行ってロウソク買ってくるわ。」


とたくましいところを見せようとするが、それがさらにガッカリな発言だったらしく彼女のテンションが著しくダウンしていくのを感じた・・・


結局ロウソクを買って部屋中を灯したものの、あまりの寒さに10分位でギブアップしてしまい、彼女は食事も何もせず帰宅して、私は先輩の家に転がり込んだ



そんな悲しい「クリスマス」の出来事を昨日急に思い出した。



この出来事で
「3104クリスマストラブル 3部作」(その1その2)
が完結するのだが、どうにもこうにも異性と関わる行事には碌な思い出がないなと改めて感じざるをえなかった・・・



もっとドラマになりそうな大恋愛を体験してみたいものである・・・


3104
プレゼント
いつもそうなのだが私は

人にあげるプレゼントのセンスがなさすぎる!!!

自分は一生懸命に足しげく店を探し回り喜ぶ顔が見たくて頑張っているのだが、外見を見た時点では喜ぶ表情が中身を見た瞬間に微妙な顔になる場面に良く出くわす。
しかしせっかくの贈り物だからということでプレゼントを貰った相手が必死に笑顔を作って平静を保とうとするのがまたたまらない。


というわけで本日は今までに人にあげたプレゼントのうち、微妙な顔をされた逸品に関して記していこうと思う。


その1:「二人の記念すべき日に・・・」

これは以前の日記にも書いた「やられ役銀次」

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彼氏と彼女の関係を根底から覆すような素晴らしき一品である。


その2:「バンド関係の友達に・・・」

ベーシストなのにドラムスティック

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しかも七色に光るヤツらしいのだが、電源を入れて数分で光らなくなった問題の品である。


・女の子の一年に一度の誕生日に「VAAM」の粉

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これでライブラッシュを乗り切ってもらいたいという願いからのチョイス。しかもラッピングを豪勢にしてギャルが喜びそうな配慮もされた粋なプレゼント。(これは結構喜んでくれたみたいで良かった。)


その3:「お返しに・・・」

モテないメンズには地獄の一日となるバレンタインデー義理とはいえもらったからには返さなければならない。
しかも私が元々考えていた品物は他の人とかぶる可能性があった(お風呂セット等)ので、一大決心で・・・















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「伝説のエケッコー人形」と呼ばれるコイツをあげてみた。











義理チョコのお返しなのに消耗品じゃないところで既に何かを間違えてるのだが、

「もうこれしかない!!!」

と激しい思い込みのままお返しにプレゼントした。当然相手も一瞬たじろいで必死に笑顔を作っていたのだが、ダメ押しで










森「この人形タバコ吸わせるとゴキゲンになるんスよ。」

とダメ押しのICHIGEKI。
見れば見るほど愛着がわくし中々のセンスだと自画自賛してたのだが、どうも相手の表情が晴れなかったのが印象的だった・・・


ちなみにタバコを吸ってる絵は

img37165471.jpg


とか

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こんな感じである。


自分は嬉しいと思うんだけどな・・・


プレゼント選びは何回やっても難しい・・・


3104

平穏を切り裂くもの
一応これでも東京都豊島区民としての生活も長くなってきた今日この頃。最近家の周りがやたらと騒がしくなってきた。それは

「豊島区議会議員選挙」

が始まったからである。
我が家は道路沿いにあるのでこれでもかというくらいに選挙カーが大音量の選挙活動をしながら通り過ぎる。

わたしはこの選挙カーによる演説が大嫌いなので煩わしくてしょうがないのだが、今回はそれにプラスする形で我が家の静寂をぶち壊すような事態が起こってしまった。それは・・・





















家の斜め向かいに立候補者の事務所が設置された
からである。

それがなんでうっとおしいかというと、例えば家の真向かいの事務所を仮にAさんの事務所だとする。

当然Aさんの事務所前は常に人だかりで、なんやかんやと騒いでいるのだがこんなのは序の口。一番まいったのは、Aさん以外の候補者が事務所の前を選挙カーで通り過ぎようとする時に必ず、



拡声器「ただいまA候補の前を通過します!!!失礼します!!!」



とか


拡声器「Aさんもお互いに頑張りましょう!!!」



等のお馴染みのセリフではない別バージョンが聞こえてくるのである。しかもそれが普段聞き慣れないせいかやたらと強調しててうるさいのである。


せっかくの陽気な昼下がり、引きこもりの様に「無双OROCHI」を堪能してる横で常に騒がしいもんだから、





「敵将打ち取った・・・お互い頑張りましょう!!!」



ってな感じのイマイチ世界に入り込めないガッカリな日々を過ごすハメになった。

確かに必死になのも分かるし頑張って欲しいのだけども、何ともいえない微妙な感情が胸の内にあるのも事実である。まぁそれでも22日には投票だから、もう少しの辛抱である。


3104
足跡 その30
遂に本編が30を越える大作になってしまったのだが、相変わらずまったりペースで続けていこうと思っているので、皆さんも今まで通りこれを見て自信をつけてもらえれば何よりである。
それでは本日はガールポップバンドの方に重点を置いて足跡を綴っていこうと思う。



前回の日記でも触れたように、サークルのバンドもようやくライブハウスのオーディションを受けるようになった。
昼のライブは初めての体験だったのでどうなるかなと不安だったのだが、勝手が違うながらも何とか自分なりには切り抜けられたのではないかと思う。

とはいえ評価は他人がするものであるし、バンド単位としての評価がものを言うのが現状。そうまざまざと思い知らされたのはライブが終わってからの事。

各バンドが精算をしつつ、ブッキング担当と色々な話をして今後のことなんかを決めていくのだが、当然話題になるのが


「次のライブ」


である。



当然我々も気になり、その話題が出るまでドキドキしながら待ってみると・・・





















再度トライ



という厳しいお達しが出た。休日の昼下がりに何ともテンションが下がる事件である。
その後打ち上げに行く気にもならずトコトコと家路へ向かうメンバー、この日は悔しいのと疲れたのと早起きしたのでグッタリの一日であった。


もちろんこの出来事をバネに更なるリハーサルを重ね、ステージングやバンドとしてのまとまりも学びまた別のライブハウスで再度オーディションを受けることになった。


気になる結果の方は・・・















何とか夜の部に出られることになった。

この時はメンバー全員で喜んだし今後の励みにもなったと思う。その後別のライブハウスのオーディションも着々とパスしていき、何とか活動の拠点をに動かすことに成功した。ペースは1~2ヶ月1回の割合でライブを行うという「神威」とは対称的な活動ではあったが、バンドの産声を上げた時から参加してただけに進化の具合をまじまじと観察する事が出来たし、新たな発見はあったことは大きかった。


こうして両バンド共順調に活動していくのかと思いきや、2001年を越えたらへんから急に暗雲が立ち込め、激動の年に巻き込まれていくのであるが、この話はまた後日・・・



続く



3104
足跡 その29
ずいぶんと日にちの間隔が空いてしまったが、本日から足跡シリーズの続きを書いていこうと思う。
このシリーズもずいぶんと時間軸が現在に移行しつつあるのだが、多分ここぐらいから新たな出会いも多くなっていくし、残念ながら別れも多くなっていく。多少その事に関して記載するのをためらう部分があったりもするのだが、なるべく楽しんで読んでいけるよう工夫を凝らしていくつもりなのでどうぞ気長に読んでいってもらいたい。

それでは留年が確定した大学4年生(1回目)の頃からのお話をしていこう。
ちなみに当時のうちの大学の学年の移行の仕方は「1、2、3、4、4、4、4、4」という感じで進級(?)していってた。


復習の意味も込めて大学4年生(1回目)現在LV21の私のアビリティをおさらいしておく。

所属バンド
・神威
・大学のサークル内の面子で結成したガールポップバンド


バイト先
・中華料理の配達(青山付近でまかない付き)

居住地域
・東京都大田区大森

学力
・人並み以下

財力
・雀の涙
(親から「教科書代が欲しくて・・・」と泣きついて生活費にあてるという情けない現状。年に4,5回くらいたかってた。)

サークル内におけるポジション
・部長引退につきお気楽OBサークルのライブでは自分が今気になってる音楽のコピーや、ボーカルなんかをやってた。

当時ドップリだった音楽
・「Red Hot Chili Peppers」
・「SBK(スケボーキング)」


となぁざっと整理するとこんな感じである。


所属バンドに関しては「神威」の方は相変わらずのライブラッシュで、平均で月に2~3本はどこかでライブしてた。しかもその行動範囲は広がっていき、関西のライブハウス(京都、大阪、神戸)の方に3ヶ月に1回は向こうでライブしていた。

この年は自分にとって色々な物を得た時だと思う。正式に入って約1年が経ち、バンドとしての基盤も固まりつつある時にいきなり未開の地である関西方面への遠征。場所や環境が今までとは全く違う状態において、自分がどのようにして体力やモチベーションを維持するのかを学ぶいい機会だったと感じる。
あと、車での長距離移動どんな状態でも寝れるというのにも耐性が出来た。


ホントこの時は
「いや~、関西疲れたけどたのしかったなぁ~。」
なんて振り返ってしばし安堵してると、
「やべっ、来月にはまた行くんだ。」

とスキを見せるとすぐに次のツアーが待っている状態だった。

もちろん都内でのライブも何ら変わりなく行われ、関西から帰ってきて2、3週間後にはまた都内でライブなんてのもザラにあった。

この頃の音楽性はベースの人との相性も良かったので、リズム全体に「ファンク」色が強くなって、ますますレッチリっぽくなってた。
ドラムのスキルに関してもベースの人が元ドラマーという事で色々な注文や厳しい目が光ってたので、気を抜く事なくスクスクと伸びていった(気がする)。

学んだ物、得ようとしたい物をリハーサルで試し、それが出来る様になれば本番で即実践。そのサイクルが以上に早かったので改めてこの頃は吸収する事が多かった時期だと思う。

とまぁ神威に関してはそんな感じで、とにかく「ライブが多かった!」という思い出だった。そしてこのあたりから仲のいいバンドの数も徐々に増えていった気がする。都内もとより関西方面にも友達が出来始め、2回目の対バンとかが多くなり更に親交が深まっていくのであった。



そしてもう一方のサークルのバンドの方は、スタジオに籠る日々が結構長い間続いていたのだが、ようやく秋口位からライブをしてみようかという話になった。

もちろん最初はオーディションライブを受けるのだが、私自身も初めての事でかなりドキドキしていたのを覚えてる。記念すべきライブハウスは確か「下北沢屋根裏」で確か土曜か日曜の昼だった。

不健康真っ盛りの学生生活において午前中に起きてしかもライブをするというのはもの凄く過酷な条件だった。まだ眠いまぶたをこすりながらお日様がカンカン照りの下北沢を歩き、新しい出発に向けて徐々にテンションを上げてライブに挑もうとするのであった・・・


続く

3104
カラオケに行こう
私は滅多にカラオケには行かないのだが、バンド関係以外でのお付き合いがある友達と遊ぶときは、大体2次会位でカラオケに行く事が多い。

もちろん歌うのも大好きな私はMICを独り占めしない程度に曲を入れて、魂を搾り出して熱唱するのだが、ここで一つ大きな問題点が存在する。
それは・・・
















「何を歌うか?」

という悩みである。

音楽は触りしか聴きません見たいな人にインディーズの歌ばっかりとか、洋楽を歌うのも酷な気がするし、知らない曲ばかり歌われるのも面白くないと思う。

なるべく波風を立てずに楽しい時間を過ごせるようにと色々考えた結果・・・






















「うわっ!懐かしい~!!!」

と思わせるような曲ばかりを選んで歌ってみるという部分に着地した。


今回はこういうケースにおける3104的選曲集を垂れ流すという自己満足以外の何ものでもない企画を立ち上げてみる。(ちなみに一緒に行く人の年齢はほぼ同世代という設定で進めていく。)



1:とりあえず当たり障りのないように「奥田民生」シングル曲(「イージュー★ライダー」が多い)や「Choo Choo TRAIN」なんかを歌ってみる。

2:調子を良くしたら、TMN「GET WILD」とか「LOVE TRAIN」とかを歌ってみる。

3:そろそろ傾向と対策が見えてきた頃に「THE BOOM」「星のラブレター」なんかをチョイスしてみる。

4:場を盛り上げようとして「TOKIO」「LOVE YOU ONLY」「電気グルーヴ」「Shangri-La」なんかもトライしてみる。

そんな中にも「THE YELLOW MONKEY」「サザン」「スピッツ」なんかもちらほら歌いながら・・・






















「夏の日の1993」


で締めてみる。


とまぁこういった流れで楽しんでいる。
これがバンド関係の友達とだったら、もっとコアな「FLYING KIDS」「くるり」「スネオヘアー」等の自分だけが気持ちいい曲を歌ってる。



ちなみに私の十八番
「UNICORN」「雪が降る町」
「GOING UNDER GROUND」「ランブル」
「ZEPPET STORE」「ROSE」
である。もし機会があれば私の魂の叫びを聞いてもらいたいものである。

さらに遊びを交えると
「UNICORN」「忍者ロック」
「SEX MACHINEGUNS」「ONIGUNSOW」
なんかを歌い上げる時もある。


3104


でも結局は生音で自分達が演奏するのが一番気持ちいいと思ってしまうのである。
足跡 寄り道編その3
~前回までのあらすじ~
自分の身の丈を考えずあれもやらなきゃこれもやらなきゃみたいな感じで予定を埋めていったら、とんでもなく多忙になってしまった大学3年生。
卒業か留年かの最終ジャッジが決まる3年の後期試験、果たして結果は如何に?


この年は部室が火事になるといった事件などは起きず、余裕を持って試験に挑む事が出来た。とはいえバイトをちょっとの間休んで、部長業も11月に任期満了になったぐらいで勉強に関しての余裕は全然なかった。

そんなこんなでいつまでたっても勉強する気がないまま試験を迎えることになった。この時はなりふり構っていられず先生に試験範囲を聞きにいったり、試験前から泣きついたりといった準備も怠らずにいざ試験開始・・・


















相変わらず良く分からない・・・


ホント大学時代の試験は自信を持って出来たという科目は何もなかった。こと勉学に関しては高校時代が一番冴えていたのかもしれないなんて事を考えながら大して問題を解けないまま試験が終了していった。
こうなると最後のダメ押しとばかりに、試験終了後先生に頼み込む
3年生で単位が必要だというのをこれでもかとアピールして情に訴えたり、課題をくれと泣きついてみたりとありとあらゆる下策を用いてた。

当然中にはお固~い教授もいたので、その場合は泣く泣く諦めざるをえない科目もそこそこあった。



そして運命の成績発表の日。自分の単位取得状況を確認してみると・・・


























取得単位:103














無、無念・・・



あと、7単位足りずみんなの期待に応えてしまったのであった・・・
(一時期親はため息しか吐かなかった。)

こうしてめでたく大学を人よりもオーバーステイする事になり、あと1年半ないし2年は大学生でいなければならなくなった。
とはいえ今にして思えば留年してても全然問題なかった。講義は留年が確定してからVIP待遇になり、単位取得の難易度も大きく下がっていったし、余裕を持って講義を撮る事が出来たからである(1日1個か2個の授業を受けるだけで問題なかった)。

その結果音楽やバイトに割ける時間が今までよりも多くなり、より音楽活動のサイクルを激しく廻し始める様になる。肝心のバンドの方は2バンド掛け持ちにも大分慣れて、2バンドそれぞれがライブハウスで活動している状態になっていた。次回はまた音楽の方にウエイトを置いてまた足跡シリーズの続編を綴っていこうと思う。


続く

3104


足跡 寄道編その2
前回の日記でちょいと補足的な事柄を書いていったわけだが、今日は音楽以外の部分(特に勉学)に関しての四方山話をしていこうと思う。



一応私は大学に入っていたので、卒業するにはある程度「単位」というものが必要になってくる。
ウチの大学の場合は卒業論文を取り掛かるのに必要な単位が110に設定されている。
つまり4年生になる段階110単位以上持ってないと留年してしまうことになる。

その為3年生が終わるまでのテスト計6回(前期と後期に各1回ずつ)で110単位取らなければならないのであるが、1年生の時は年間で27単位2年生を終えた段階では合計60単位位と数字でもはっきりわかるダメ学生っぷりであった。

2年掛かってようやく半分位に到達したわが学力では厳しいというか無謀だというのは火を見るより明らかだったのだが、音楽系サークルの中で毎年必ずミラクル(1年で60単位以上取得)を起こす輩がいたので、

「今年は俺がミラクルを起こすかも・・・」

ってな感じで甘い幻想を抱いていた。まぁそんなこと考える前にちゃんとやっておけばよかったじゃないか!!というツッコミは黙殺しておく。


というわけで年間60単位取得を目指して受ける講義を考えるのだが、時間割をみてみるとやたらと1年生や2年生が対象の講義を取っていることに気付く。しかも優秀な同級生はこの頃になると学校にあまり来なくなってしまうのでライフラインの数も激減していた・・・


「こうなったら腹をくくって勉強するしかない!!!」



と今までなら思ってたかもしれないが、もはや私の中には勉強する気持ちが1ミクロンも残っていなかったので、頭のよさそうな人やサークルの後輩を見つけては優秀な頭脳のおすそ分けに勤しむ毎日であった。



というわけで音楽、勉学ともにマックス忙しい大学3年の生活スタイルは

・平日は朝から夕方まで授業がびっしり。
・夜はバイトで週4回中華料理の配達
・バンドのリハーサルが2バンド合計で週3回。
・月2,3回のライブ。
・サークルの部長として日々奔走。
(特に学園祭に向けての準備等)


と今こうやって改めて見ると

よくこんな生活してたなぁ~

と感じてしまう位、日々特盛の毎日であった。


そんな生活をセコセコ送っていたら、遂に運命の審判が下る3年生の「後期試験」の時期に差し掛かってきた。果たしてミラクルを起こしてストレートで卒業できるのか?もしくはみんなの期待通りに留年してしまうのか?

結果は大半の皆さんがご承知とは思うが、それでも必死に悪あがきした思い出があるのでそれを交えつつ次回に書いていければと思う。


続く

3104
足跡 寄り道編
今日は一向に終わりの見えない足跡シリーズのオリジナルバンドを組んでからの補足を加えていこうと思う。


まずこの日の回想で触れた「音楽性の変化」についてだが、私が加入した当時の「神威」はロックに少々メタルのスパイスが加わったような感じで、ボーカルがサビで高らかに歌い上げるスタイルだった。

しかしその頃の私の趣向としてはあの日に書いた通り「Red Hot Chili Peppers」の影響をこれでもか!という位受けていたので、いずれはミクスチャーな音楽をやりたいと思う様になっていた。

しかしライブが出来る環境に感謝こそすれ文句もないし、まだまだ私にはやらなければいけない事や学ぶべき部分が山ほどあった。だからバンドから離脱するという発想は微塵もなかったし、なんならこのメンバーで色々な事を幅広く出来たらいいなぁと思う様になっていた。

こんな風に思う様になったのもバンド活動に徐々に慣れてきたのと、メンバーと深く話す事が出来る様になったという部分が大きい。
実はベースのリーダーはレッチリクィーンが大好きだったり・・・
ボーカリストはRage Against the MachineTHE MAD CAPSULE MARKETSが好きで・・・
ギターの人は厳ついギターを持ってる割に、何でも聞く柔軟な人だったり・・・
と思ったよりも懐の広い人達だったからである。


そして後日バンドの曲とかを練習するリハーサルの場で不意に

「3104はどんな感じの曲がやりたい?」


って聞かれたので、脊髄反射な感じで

「レッチリみたいなのがやりたい!!!」


と答えていた。するとメンバーからは・・・

「いいね~。もしやりたい感じの曲とかあれば作ってもって来なよ。」


的な流れになった。この話が出た時は凄く嬉しかったが、ここで一つ大きな問題が立ちふさがった・・・






















今まで自分で曲を作った事がない・・・


とはいえせっかくの機会なんだからという事で必死に自分で曲を作ってみる・・・

そして3104的曲作りとしてどんな環境で考えればいい曲が出来るかトライしてみる事にした。

準備段階としてこの頃の3104アビリティ

・ドラムが叩ける
・多少歌が歌える
(ジャイアンリサイタル程度)

しか持ってなくて、ギターはおろかピアノも弾けないのでコード(和音)なんかも理解してるはずもない・・・さてこんな状態で曲は出来るのか?いかの手法を試して検証してみよう。


手段1 ここはアーティストっぽくスタジオで・・・

誰もが憧れるシチュエーションではあるが、そんな暇があるならドラムの練習しろ!!!というツッコミが入ってたし、MAXビンボーだったのでスタジオ代がもったいないという事で却下。


手段2 自宅でひっそりと作ってみる・・・

一番安全パイかとおもいきやすぐに「マンガ」「ゲーム」の世界に逃げてしまうのでボツ。


手段3 大学の講義中


結局これが一番集中できた。周りは静かだし誘惑の品々もなかったので、ノートに歌詞を書いてはメロディを何度もリピートさせたりしながら曲作りを進めていった。


そんな偉そうな事を書いてても、結局自分の頭の中には楽器がなっていてもそれを表現できる技術が皆無だった為、メロディーと歌詞とリズム以外は










ギターやベースフレーズを鼻歌で伝えていた・・・

当然今までにない作曲方法だったらしく、最初はメンバー全員狐につままれた顔をしてリハーサルの雰囲気は異様だったが、その後3~4回のリハーサルで徐々に固まってきてようやく曲が完成したのであった。


ちなみに私の人生初のオリジナル曲はプロレスをテーマにした「IWGP」という曲である・・・

これで俄然調子に乗った私は神威時代の曲を「講義中」に生み出していくのであった。


続く


3104
国家の・・・
普段とはうって変わって物々しいタイトルの日記なのだが、この前またとんでもない事が起きたので今日はその報告を。




ある日の事、外出する用事があったので自転車に乗っていつものように駅に向かい、いつもの駐輪場で自転車を預けて駅まで歩こうと思ったら、駐輪場内に怪しい二人組の男が入ってきてた・・・


普段の道ですれ違ったのなら何も感じなかっただろうが、自転車を置くだけの駐輪場にとても学生には見えないおっさん2人組が歩いてる姿は物凄い違和感であった・・・


とはいえ時間も押し迫ってたし、何も起きないだろ?とタカをくくっていつものように音楽を聴きながらその2人組みの脇を通り抜けようとしたら・・・



















行く手を2人組みにふさがれてたのであった・・・














そして・・・
















「この自転車誰んだぁ?」



とヘタクソな刑事ドラマよろしく警察手帳を見せてきた・・・



















出たよ・・・もうこればっか・・・






懸命な読者の皆様方は私がよく警察に呼び止められるという隠れアビリティがあるのをご存知だろう。(あんなことこんなこと)


例えば路上でこのような感じで止められたら正直納得できないものの、まぁしょうがないのかもしれないが、あろうことか自分で買った自転車を月2,500円も払って区営の駐輪場に止めてる私にむかってあろう事か窃盗容疑をかけてきたのであった・・・



(いやいや、池袋駅は放置自転車がメチャメチャ多いし迷惑してて窃盗自転車の可能性高いんだし、そっちの方を調査すればいいじゃん・・・)


とまぁ今回は場所に関しても大いに問題があったのだが、それよりも何よりも





















朝8時半という健康的な時間に窃盗容疑をかけられたのであった・・・





この朝のクソ忙しい時にちゃんとルールを守って自転車を保管してる人間を捕まえて何を考えてるのか?あり得なさすぎる・・・

当然このラッシュの時間帯、私以外にも結構な人がここの駐輪場を利用してるのだが、他の駐輪場に止めてる方々は一切お咎めナシでドンドン私の横をすり抜けていく・・・
さすがにこんな理不尽な事は我慢ならないという状態になり


森「なんで自分だけに疑いをかけるんだ?放置自転車とか、もしくはここに出入りする自転車全てを調べろよ!!!」


と言い放つと



警察官「それは無理でしょう。」



かなりIQが低く且つ高圧的な対応をされたので、


森「じゃあ、私を疑わしいと判断して今回のような事をしてるんですよね?」


と返すと・・・



警「いやいや、そういう訳じゃないんですけど、一応確認の為。」



とかなり歯切れの悪い対応をされた。


結局いつもの様に防犯登録のナンバーの確認が出来るまで散々た扱いを受けて、分かったとたんに謝罪をする訳でもなく「もう逝ってよし。」みたいな感じで終わるのだが、













もうちょっと何とかならんのかね?



ほんと警察官の対応の悪さにはうんざりさせられる・・・








結局このやりとりのせいで時間に遅れて散々な結果になってやり場のない怒りだけが私の心の中で燃え上がる一日であった・・・



3104
足跡 その28
つい先日部屋の掃除をしてたら、昔の音源がワンサカ出てきた。懐かしいな~なんて思いながら当時の音源を聞いてみる・・・






う~ん、アグレッシブ・・・




そんな表現がぴったりのドラムがスピーカーから流れていた。
もちろん聞いてる人と叩いている人は同一人物なのだが、歳月は音楽の感じ方やフレーズの選び方、雰囲気の作り方を大きく変えていた様である。

そんなえらそうなことを言いつつも最後まで聞くのは非常に小恥ずかしかったことは忘れずに伝えておく。

それでは本日も続きの続きを続けていこう。




自分の活動の基盤となるバンドも決まり、また気持ちも新たに音楽活動をしていこうと思っていたのだが、これを機会に自分自身の中にもっと上手くなりたいという気持ちが日に日に強くなってきていた(他のメンバーの足を引っ張りたくないという気持ちも大いに有)。

そんなことを考えてる頃に学校内で雨後のタケノコのように出来ていたオリジナルバンドのうち、ドラムがやめて困っているバンドが一つ出てきた。
最初はその事を風のうわさで聞いてた程度だったが、数日後にはそのバンドのリーダーが私を呼び出してバンドの実情を色々話し始めたのであった。


バンドのメンバーに囲まれて話し合いというそんなシチュエーションになれば、当然チラついてくるのは「ドラムのお誘い」であり、この時も例に漏れずドラム加入のお願いをされた。

本当はそのまま二つ返事でOKを出そうと思ったのだが、現在所属してるバンド(神威)のメンバーに一応連絡してから加入の返事をしようと考えた。

次の神威のリハーサルのときに恐る恐るメンバーに事情を説明してみると・・・















「別に支障が出なければいいんじゃない?別バンドでも活動したらさらに上手くなるだろうし。」


という理解ある答えを貰った。これにより私は2バンドかけもちすることを決め、相手のバンドにも加入の意思を伝えた。

この新たに加入するバンドは
女性ボーカルのバンド
・メンバーは全員同じサークル
・そしてまだメンバー全員が東京でライブハウスデビューを果たしていない状態
という今のバンドとは正反対の位置にあり、私が経験してない部分がそこにはあったのである。

この頃の私は何に対しても貪欲で、何でも吸収したいという気持ちが強かった時期だったので、今回のこの話も「絶好のチャンス」と考えていた。

こうして神威の激しいライブ活動と並行する形でもう一つのバンドの曲作りやリハーサルに勤しむ生活が始まった。
当然の如く忙しい毎日が津波のように押し寄せてきてカネ健康も大幅に損なわれるが、心は今までになく充実していた・・・

そんな音楽ドップリの生活にを入れられる出来事が起き、生活サイクルが今までより2倍増しで激しく回り始めるのだが・・・この話はまた後日。


続く

3104
足跡 その27
~前回までのあらすじ~
遂に念願のオリジナルバンドに加入する事が出来た私。とはいえこれは第一段階に過ぎず気付けば1ヶ月後に初ライブが控えてる現状。本当の合否はその時だといい聞かせつつ連日個人練習に明け暮れるのであった・・・


さて気になる東京初ライブは

2000年8月20日(日)club asiaであった。


初の舞台がasiaとは今考えるとかなり恐ろしい事だったが、ハッキリ言ってそれどころではない状況で、夏の暑さと相まってあり得ないくらいの脇汗をかいてた記憶がある。ちなみにこの日は色んなジャンルの人が集うイベントだったらしく、弾き語りもあればバンドもあるという感じであった。とはいえ右も左も分からない田舎者の私。メンバーの後ろを金魚のフンの様に付きまといなるべく一人にはならない様にしていた。

この頃になるとメンバーの人とも大分話せる様になっていたし、ライブになるとそれこそ四六時中顔を合わせる状況なので、普段のリハーサルの時間では聞けないもっと深い所まで話をする事が出来た。

そうこうしている間に我らの出番が近づいてきた。本番に向けてのテンションは既に会場入り時間の午後3時頃から常にMAXをキープしていたので今更上げる必要もなかったが、朝からずっと付きまとっていた押しつぶされそうな緊張はぬぐい去れないままドラムセットに腰掛ける事になった・・・



いつもより念入りにセッティングをして最終確認をした後、運命のライブが轟音とともに幕を開けた・・・












技術的な事を言えばキリがないくらいまだまだだとは思うのだが、それでも今現在の私が持てるすべてをあの場で出し切る事が出来たとは思ってる。
それを裏付ける様に神威のメンバーからも

「これからもよろしく」


という固い握手を交わす事が出来た。



こうした紆余曲折を経てようやく東京に来てオリジナルバンドを組んで活動する事が出来たのだが、ささやかな夢が叶うとともに
もっと上手くなりたい!!!

という欲望もちらほら出てきた。
これを機に神威の活動は怒濤のライブラッシュに突入していく事となる。リハーサルを週1、2回のペースで行いつつ、月平均で2、3本のライブをやるというサイクルでバンドが動いていった。

当然の事ながらキャリアの面で他のメンバーよりも大きく出遅れてる感が自分の中にあったので、それを埋めるべく個人練習も平日の昼に部室でシコシコやっていた。
しかしそれでも常に自分の中で他のメンバーからとり残されはしないか?という不安が付きまとっていたのも事実。そこで個人練習にプラスする形で自分のドラムスキルをもっと磨く事が出来ないものかと考えていた時に、思わぬ所から思わぬ話が転がり込んでくる事になる・・・


続く


3104


ちょっとした回想

この頃の神威のジャンルはラップだ、ダンスだという要素は全くなく漢(おとこ)が奏でるロックであった。
これから少しした後に徐々にバンドサウンドに変革が起こっていくのだが、これもまた後日に伝える事が出来ればなと思っている。


足跡 その26
さてさて日付も大分空いてしまったが、本日からまた「足跡」の続きを綴っていこうと思う。
遂に訪れたオリジナルバンド加入のチャンス、寂しいと死んじゃうウサギのような私の為にわざわざ先輩が付き添ってくれていざ顔合わせなる・・・


今回は神威BASSの人とGUITARの方が来てくれた。どうやらこのバンドとYT先輩は共通の知人の紹介で知り合ったらしい。そしてつい最近神威のドラムが脱退したという事でYTさんが知人を介してヘルプという形で神威のドラムを叩いていた。

しかし我らがYTさんは結構複雑な病気を煩っており(私も詳しくは知らないのだが、日常生活に支障がでるレベルである事は確実)、つい先日も病気が再発してしまったためヘルプを続ける事が出来なくなってしまっていた。そういう事情があって今回私に白羽の矢が立ったらしいのである。

今回も前回みたいに何も喋れずに終わってしまうか凄く不安だったが、YTさんのエスコートがあったので、一人で挑んだ前回よりは色々喋れたし聞く事も出来た。やはりこういったケースは知人を介して知り合う方がお互い安心だなと初めて気付いたのであった。

この日は音楽に関する事やそれ以外に関しても色々と話し場は和やかに進んでいった。しかしその場にVOCALの方が不在だったので、後日全員で顔合わせする日取りと全員でリハーサルに入る日程を決めた後、彼らの音源を受け取って顔合わせは終了した。

明らかに前回とは違った高感触が自分の中にはあったものの、今の自分のテクでは不安過ぎてしょうがなかったし、実際にバンドで音を合わせてみないとその後の事はさっぱり分からない状況だったので、今までよりも更に部室にこもって練習する日々が続いた。

彼等との初リハーサルまでの期間は約2週間、その間扇風機もクーラーも無い部室で毎日2~3時間練習して自分に出来るベストを尽くしていた。多分それまでの中で一番練習していたかもしれない。それは多分初オリジナルバンドとしての活動に意気込んでたのもあるが、それよりも・・・
















約一ヶ月半後にライブが決まっている・・・




という歴然とした事実があったからである・・・


とにもかくにも迫り来る壁がデカ過ぎてどうしようもないのだが、考えてる間にも時間は過ぎてしまう・・・様々な不安をぬぐい去る様に一心不乱で練習していた。


汗だくになりながら過ごした2週間はあっという間に過ぎて、遂に訪れた初リハーサルの日。もう緊張し過ぎてトイレがやたら近かったのを覚えてる。ちなみに場所はここで行われた。(東京に来て部室以外のスタジオで練習するのも初だった気がする。)
時間通りにメンバー全員が揃い、スタジオに入り手汗ぐっしょりの状態でドラムのセッティングをして準備を整え、物静かにその時が来るのを待っていた・・・




そして不安と緊張が入り交じる中演奏を開始する私・・・
















どうやらメンバーの皆さんは合格を認めてくれたようで、メンバーとして正式に加入する事になった。

とはいえこれからまだまだやる事は多いしライブも間近に迫ってる状況、これに満足する暇もなく更に蒸し風呂のような部室の中で東京初ライブに向けて毎日汗をかき続けるのであった・・・


続く


3104
いつもの奴にいく前に
つい先日高円寺に行ってMSPCOAL SACKのライブを見てきた。
この日は2つのバンドが対バンという事で一粒で二度美味しいライブであった。内容はもちろん楽しめたのだが、この時にCOAL SACKファンとおぼしき女性の方に話しかけられた。



「バンマスいつも日記見てますよ!!!」



この方は日記をちょくちょく読んでくださっていて、ライブなので顔を合わせるといつも報告してくれる。ホント意外な繋がりなのだが、こまめに読んでくださって本当に嬉しい限りである。もちろん私も



森「ありがとうございます。なんか最近自分のヨタ話ですいませんね~。」



などと返すと、


「ウチにも子供がいて毎日ゲームばっかしてて、これからの事とか凄く不安なんですよ~。」



むむっ!?これは人生相談か!?遂に私も人から頼りにされる身になったのかぁ~なんて思ってドンと構えていたら・・・


「けど3104さんの日記を見て、ウチの子にもまだまだ可能性があるのかな?と思いました!」



ん?本人の意思とは違う方向に進んでしまってるが、何はともあれ私の赤裸々な過去が人様に自信を与えてるのは嬉しい限りである。


この日記にわざわざ足を運びコメントを書いていかれる方、会った時に声をかけてくれる方、まだ会った事ないけれどこの日記を見てニヤッっと笑ってくれてる方、それぞれのスタンスで楽しんでもらって本当に感謝しっぱなしである。

そういう反応を見るたびに「また色々書かなきゃな~。」とか「そう言えばこんな事があったなぁ~。」と更なる執筆意欲がわくのも事実である。

これからもコツコツと書いていく次第でありますので皆様方ご愛読のほどを・・・


3104


翌日からまた「足跡」の続きを書いていくのだが、ここからはオリジナルバンドでの活動編に入っていく予定である。もしかしたら皆さんが知ってるバンド名とか知ってる人が出てくるかもしれない。更にはガシガシ日記上にリンクを貼っていくかもしれないが、それも愛嬌と思って温かく見守って頂きたいものである。
足跡 その25
~前回までのあらすじ~
東京でオリジナルバンドを組んでライブハウスで活動したい!!!という願いを叶えるために、一大決心でメンボによるバンド加入を試みたものの、様々なマイナス要因によりあえなく失敗してしまう私。この失敗を引きずったまま数ヶ月が過ぎ、時代は大学三年生の夏を迎える事になる。


この頃になると新入生歓迎や夏休み前のサークルライブなどを終え、秋口に行われる学園祭まで部長活動はしばし休息の時を迎えた。その頃の私も1年の頃と変わらず毎日サークルの部室に入り浸り、ゲームや漫画、ドラムをしながら毎日を好きなように過ごしていたのだが、そろそろ大学生活も折り返しに差し掛かってきていたので、これからの事をよく考えるようになっていた。

頭の片隅にはオリジナルバンドを!!!という思いはあったのだが、前回の手痛い失敗が頭の中にこびりついていたのであまり重要視はしておらず、もっぱら音楽に携わる仕事がしたいな、と思うようになっていた。

とまぁ頭では立派に考えてるものの、いざそれに向けて求人を探してみるなり色々調べるという事はせず、先送りにしたままただ何となくな日々を送ってしまっていた。

そんなある日の事。大学の食堂でだらだらと授業も出ずに過ごしていたら、楽器屋巡りなんかで協力してくれていた同期のY.M君が不意に

Y.M「3104はもうオリジナルバンド決まった?」

と聞いてきた。あぁ、まだ気にかけててくれたんだと感謝しつつ今の現状に関して

森「うんにゃ、決まってないよ。」

と答えた。すると・・・

Y.M「マジで?今ドラムのYT先輩がサポートしてるバンドがあるんだけど、そこでやってみない?」

という思わぬ誘いが舞い込んだ。(Y.M君YT先輩とオリジナルバンドをで活動してる関係でそういう話が巡ってきた。)
突然の事で正直一瞬迷ったものの、せっかくのチャンスをみすみす取りこぼすはずもなく、


森「ぜひやらせてくれ!!!」

と返事をしていた私がいた。(じつはこのYTさんは当時サークルで1、2を争うほどの実力者で、その後釜という事にものすごいプレッシャーを感じてたのだが、その先輩が直々に私を指名してくれたという嬉しさもあった。)

こうしてひょんな事からとあるオリジナルバンドに加入する事になった。もし誰にも言わずに一人で行動してたら今回のような話はこなかった訳だし、なんならライブハウスデビューも夢物語に終わっていたかもしれない。けれど些細な事でも発信し続ける事が大事だと思ったし、それを誰かが見てくれているんだなぁとしみじみ感じた。


とはいえこのビビリーな心は不安だらけであり、先方との顔合わせに関しては忌まわしい記憶が頭の中をチラホラしていた。
しかしこのYTさんはドラムも人間性もすばらしい人で、私と先方の顔合わせの場に立ち会ってくれるというケアもしてくださった。


もちろん時間や場所の指定も先輩にこなしてもらい、万全のセッティングでとある居酒屋にてバンドのメンバーを待つ事にした。多少時間に遅れたものの、待ち合わせにはベースとギターの人が現れた。それが「神威」(カムイ)というバンドであった・・・


続く


3104
足跡 その24
~前回までのあらすじ~
大学生活も半ばに差し掛かり、サークルの部長というポジションにも任命され自分の事に加えてサークルの事もこなす必要が出てきて、生活的には充実していたのだが、オリジナルバンドを組んでライブハウスでライブしたいという思いは、自分の軟弱な性格のため燻ったままであった・・・
そんなある日半ばやけっぱちになりながらも、新しいステップに行ってみようと試みたのだが・・・




どんな部活でも部長とかになれば部員の面倒を見なければいけないし、部活単位での会議にも出なければいけなくなるのは皆さんも想像できると思うのだが、この時期にいつぞやの日記で書いた天地をも揺るがす大事件(その1その2)があったのでその処理に追われる事も多くなっていた。

しかしそんな状況でも「東京のライブハウスに出たい!」という欲求は日増しに強くなる一方であった。
そんな思いがマックスに到達したある日、サークルの同期のY.M君に相談を持ちかけてみた。残念ながらY.M君は既に先輩と他のバンドを組んでいたので一緒に活動することは出来なかったが、時間を作ってもらってチキンな私のために一緒に楽器屋を巡りメンバー募集(メンボ)の張り紙をチェックしてくれていた。

といった具合に様々な角度からのリサーチを試みた結果、気になるバンドが1つかあったので、連絡先をメモりつつ震える手でダイアルを押して電話をかけてみた・・・

運よく相手の人が掴まりメンボを見て連絡した旨を伝えると、早速どこかで会いましょうという流れになった。とりあえず第一段階はクリアしてホッとしたものの、まだまだ安心するには早い段階。気持ちを引き締めて数日後連絡を取ったバンドの方々に会って色々と話をしてみたのだが・・・















短時間で自分の事を分かりやすく、しかも上手にアピールする事が出来なかった・・・

向こうも自分もはじめましてなのだから、色々と伝えなければいけない事があったのにそれを伝えられないもどかしさ。しかも自分だけならまだしもむこうからの質問に関しても上手く答えられずにずっと中途半端な返事をしてしまう有様であった・・・


約1,2時間ほどの顔合わせでその時は「後日スタジオで軽く合わせて見ましょう。」というよくある流れで落ち着いた。しかし次の日くらいに相手のバンドの人から電話がかかってきて



















「今回の話はなかったことに・・・」


という感じで豪快にフラれてしまったのであった。

あの時は
「一回もスタジオに入ってないのに・・・」
という感じで納得できなかったのだが、今にして思えば会った時から勝負は始まっていたんだと思う。

とはいえ腑に落ちない断られ方と自分の性格のダメな部分がはっきり見えてしまった事のダブルパンチで、自分の中にあったオリジナルバンド熱が急に冷めていってしまった・・・


しかしそんな出来事から少し時が経った大学3年の7月頃、「これから先どうするかな?」なんて呑気に考えながらサークル活動に勤しんでいたら、思わぬ所から事態は急展開しまたもや私の運命を大きく変える人達に出会う事になるのだが・・・


その話はまた明日の日記にでも書いていこうと思う・・・

続く

3104
いつ見ても気になる・・・
このCM!!!


見つけるとついついニンマリしてしまう。

ちなみにここでより詳しく色々書いていてより笑える。



こういうのを発見すると、見ず知らずの人を笑わせたり感動させたり出来るのは、とても素晴らしい事だというのを改めて感じる。


3104
足跡 その23
さてさて月も移り変わり本日で4月になり最近暖かくなってきて嬉しい限りである。やはり東京に住みだして大分経つので寒さに対する抵抗力が段々薄れているような気がする・・・
まぁ暑くもなく寒くもないという日々が続いてくれれば満足である。
それでは4月になってもまだまだ続く「足跡」シリーズの続編を御覧くだされ。



前回のその22でも書いたとおり、「Red Hot Chili Peppers」という色んな意味で変態ミクスチャーバンドの影響で、好みの曲調がアップテンポからミドルテンポの曲調を好むようになり、ロックメタルなフレーズよりもファンク踊れる感じのリズムに傾倒していくようになる。


とはいえこの頃(大学1~2年)サークルのライブで組んでたコピーバンドは多種多様で
「SIAM SHADE」
「ロリータ18号」
「ZEPPET STORE」
(あまりに好き過ぎてこれはボーカル)
「TRICERATOPS」
「SNAIL RAMP」
「山嵐」
「GREEN DAY」
「Catch-Up」

と覚えてるだけでもこれくらいやってた。(多分実際はもっと多い)

その中でも特に「TRICERATOPS」は凄く勉強になった。
私よりも遥かに上手いドラムの先輩がギターボーカルだったので(器用な先輩)、練習中も一切気を抜けず必死になって覚えていた記憶がある。
ちなみにこのコピーをやってる際に、「裏打ち」ディスコチックな叩き方を学んだのは大きな収穫だった。

とまぁ大学2年の終わり頃まではサークル内のバンド活動に勤しむ毎日だったのだが、この時期我らがサークル内に「オリジナルバンド」を組んでライブハウスで活動する風潮が出始めていた。
学内の部員どうしで結成や、知り合いの紹介メンボ(楽器屋なんかにあるメンバー募集の張り紙)で加入などきっかけは様々であったが、湯水の如くバンドが誕生しライブハウスでライブしてた。

当然私もそのビックウェーブに乗っかろうと思い様子を伺ってみることにした。
まず始めはやはり何も分からなくて不安な事だらけなので、「サークルの部員同士」でバンドを作れば気持ち的にもいくらか楽かなと思ったのだが、結構出遅れた感もあり学内でめぼしい人はほとんどどこかのオリジナルバンドに入っていた・・・

それでは他のきっかけでもある知人の紹介メンボに望みを託せばいいじゃないかと思われるのだが、如何せん自分を好きになれない性格と、自分の技術的なことに関しての問題があり尻込みしていた・・・
(「まだまだ×∞」練習しなきゃいかんなと思ってたし、サークル内だけで上手な人ゴロゴロいるのに、外に出たらどんだけ上手い人がいるのかを考えたら凹んでしまった。)

そういうなんとも踏ん切りがつかない状態だったので、次第に音楽の演奏者としての活動よりもそれに関わる仕事の方に興味を持つようになってしまう・・・
そんな中ひょんなことからサークルの部長になってしまい、中途半端な気持ちのままサークル活動の為に時間を割かれる事が多くなってきていた。

部長として活動、煮え切らない感情、その他色々なものがマーブルに交じり合った生活をしていたそんなある日、不意に自分の中でとある衝動が沸き起こり、ここで初めて実際に行動を起こしていく流れになっていくのだが、その話は文字数の関係でまた後日・・・


続く

3104

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