3-Nの軌跡
以前は『メンタルヘルスケア日記』でした。 ※『3-N』とはカネない、モテない、ツイてないの意である
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話の途中だが・・・
こういう事をこの場で書くのはどうなのか少し迷ったのだが、本日大学のサークルの後輩が亡くなった・・・

そいつは面白い奴で普段からアホなことばかりしてた。私も大学4年の頃や卒業してからよく絡むようになったのだが、本当にみんなから愛され常に心配される素晴らしいキャラクターであった・・・

あまりにも若すぎる死でショックがかなりデカイのだが、後輩の冥福を心から祈りたいと思う・・・


3104
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足跡 その22
話の舞台は大学生に移り変わった「足跡」シリーズ。
この頃に起きた出来事が余りに過激だったり、文章に起こすのは難しいんだけど楽しい出来事が多かったりと、まぁこういう場で表現するには難しい時期であった。(そんな中でも文章に出来る範囲であんなことこんなことそんなことがダース級に起こっていたのだが・・・まだまだ全てを書ききれたわけではないのでその話はまたの機会に。)
けれども音楽の方に関しては出来る限り色々書いていこうと思うので、少し期待しながら読んで頂ければ幸いである。



とある日夜、いつもの様に授業はサボり気味のままサークルの部室に遊びに行ったら、5,6でとあるビデオを見ていた。
最初はAVか?なんて思ってニヤニヤしながら近づいたら、どうやらみんな見ていたのは「教則ビデオ」だったことに気付く。

その中身は

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という聖飢魔IIのベーシストゼノン石川とドラマーライデン湯沢のビデオであった。

正直今まで教則ビデオとか見たことなかったので、どんな内容なのかなと興味深々で眺めてたら・・・
















こいつら上手すぎ!!!
と心底思わせるくらいのバカテクのオンパレードであった・・・

しかもその中でゼノン石川和尚

「それでは16ビートのチョッパーのオーソドックスな形をやって見ましょう。」

と言って20秒くらい弾いてたフレーズが・・・
















難しすぎて誰もコピーできないという珍事がおこってた・・・
その場にベーシスト4名いて一晩中徹夜で練習したのに、結局完璧に弾ききれた人がいなかったのである・・・


「どこがオーソドックスなんだよ!!!」


と全員が遠吠えするぐらいのハードルの高いビデオである。これを見て大いに凹んだのだが、この一件以来RXに対する見方が大分変わったのであった。



その後第二弾ということで今度は海外の人の教則ビデオを見ることになり、また画面にかぶりつくように見ていたら・・・





















何だこいつ?ありえなくねぇ?



と本気で言ってしまうくらいにすさまじいドラムの演奏が写っていた・・・

速攻でビデオケースを先輩から奪い、どんな奴が叩いてるのか気になるって見てみると・・・












こんな感じのビデオだった。

そう「Red Hot Chili Peppers 」のドラマーチャド・スミスの教則ビデオだったのである。

いままでこのバンドは名前しか知らなくて今まで曲を聴いた事がなかった。しかしながらみんな好きなバンドに挙げてて気にはなっていた存在だったので、いずれ音源を買ってみようかなと思った矢先にディープな映像を見てしまうという普段とは逆の現象が起こっていた・・・


このビデオを見た瞬間から、自分の中での音楽観が恐ろしく変わっていくことになる(翌日にアルバムを買いに行ったことは言うまでもない)。今まで好きだったバンドも聞いていたが、それよりもチャドが奏でるファンキーなビートに完全にはまってしまい、レッチリを始めとするミクスチャー系我が家のテーマソングに変わっていくのであった・・・


こうして様々な刺激を受けてスクスク育っていく私。これからさらに強烈な刺激を求めていくのだが・・・この話はまた後日。

続く

3014
足跡 その21
~前回までのあらすじ~
ひょんな事から入ったサークルが名前と活動が180度違っていて衝撃を受けたものの、居心地の良さとその音楽性の幅に感銘を受け「フォークソング部」で活動する事を決めたのであった。




冒頭にもあるサークルの先輩方の音楽性の広さにより、私の中で聴く音楽のジャンルの壁が取り払われた思う。従来からあったビジュアル系はインディーズ方面をよく聞いてたが、それよりも化粧をしてないポップロック、パンク、メロコア、レゲエ、ファンク、ミクスチャーなどとりあえず何でも聞くようになってきていた。

特にこの頃は曲調がアップテンポなパンクメロコアなどの音楽を好む様になってきた(元々激しい曲が好きだった事もあるし)。


といった感じで知識的な幅は爆発的に広がっていったのだが、それに伴いCDもバカみたいに買い込んでいたので年がら年中金欠に悩まされる様になる。
ひどいときなんかは金がないから銀行でお金を下ろして帰ろうとしたのに、ふらりとCD屋に寄ってしまったら速攻で使い切ってしまい、1日2回もATMのお世話になったりもした(しかも2回目の引き落としまでの所要時間約10分)。


そしてもう一つの大きな核となる演奏力の方も毎日練習できる環境の為、授業をろくに受けずドラムを爆音で叩いていた。毎日好きにドラムを叩ける環境に嬉しさを覚えつつも、やはり今までの環境と違って当然同じパートをやってる人がいるものである。しかもやはりキャリアの差が顕著に出てみんな非常に上手かった・・・
以前までの調子はどこへやら、ペーペーとして必死に追いつこうと色々聞いたり、常に他の人の演奏を観察したりと言う日々が続いていく。


とはいっても毎日がそれこそ有意義で,毎日朝まで遊んで朝9時くらいの電車で家に帰り夕方学校に来て遊ぶというサイクルを営み、健全な学生生活はどこへやらクズまっしぐらの生活を送っていた・・・
そんな事してたもんだから、学校の成績はいうまでもなくピラミッドの底辺で1年の始めのテストの時点で既に実家の両親に

「おたくの息子はバカすぎるからしっかり勉強させとけゴルァ!!!」

留年の兆しのハガキが送られてきていた・・・

しかしながら勉強は高校3年の受験以来一切する事はなく、好きな音楽にドップリと漬かっていた時に以後の音楽性を大幅に変えるくらいのとてつもないバンドの存在を知る事になるのだが、その話はまた後日・・・


続く

3104
足跡 その20
~前回までのあらすじ~
遂に念願の自由を手に入れ東京生活を始めた私。早速大学内で音楽をやってる人がいないかリサーチしてみると、キャンパス内で弾き語りしてる人を発見。
早速勇気を振り絞って話しかけてみることにした・・・


森「あの~、この近くに楽器屋とかないですか?」

先輩「う~ん、ここからだとみんな御茶ノ水に買いに行くね。楽器やってるの?」

森「ええ、一応ドラムとかやってるんですよ・・・」

先輩「そうなんだ。俺ら音楽サークルやってるんだけどちょっと見に来ない?」

森「それじゃあ是非・・・」


てな感じでかなりたどたどしかったものの、何とかファーストコンタクトは終了。先輩達に連れられてとある汚いプレハブに連れ込まれた。
どうやらここが部室らしい・・・


森「ちなみにここは何サークルなんですか?」

とぎこちないままに話しかけてみると・・・

先輩「フォークソング部だよ。」















なぬっ!?


一瞬どうリアクションとっていいかわからなかった・・・
私が思い描いていた音楽サークルは軽音部とかもっとオサレな名前がついてるもんだと思ってたら、よりによってドラムとかあんま必要なさそうなフォークソングのサークル・・・

ちょっと失敗したかなと思いつつ部室に入ってみると・・・
















部室汚なっ!!!

笑っちゃうくらい汚い部室だったのだが、機材は全て揃っていてドラムセットもあった。さらによく見るとコタツ布団冷蔵庫レンジはあるし、テレビゲーム大量の漫画と私好みのアイテムがそこら中にゴロゴロ転がっていたのである。

「こりゃ部室と言うより家だな・・・」

なんて思ってたら、






先輩「ここで生活できるから大丈夫だよ。現に俺はほぼ毎日住んでるし。」

とやっぱりな回答も返ってきた。


最初は抵抗があったものの思ったより居心地がいい事に気付き、あれよあれよと言う間に先輩達とゲームまでやり込むほど距離は縮まっていった。とはいえ肝心の音楽に関してはまだ疑惑が晴れなかったので、恐る恐る

森「皆さんはどんな音楽やってるんですか?」

と核心部分について聞いてみたところ一同が口を揃えて・・・















先輩集「何でもやるよ。」


とかなりアバウトな答えが返ってきた・・・さすがに今日はこの辺で聞くの止めておこうと思い、先輩達とゲームやら話をしてたらおもむろに4人位部員と思われる方々が入ってきたのに気付いた。しかもどうひいき目に見ても「ゆず」とか「コブクロ」とか聞かないでしょ?っていった方々である・・・



何すんのかな~と遠目から眺めてみたらおもむろにアンプやドラムセットから轟音が放たれ






















山嵐Rage Against the Machineのコピーを始めたのであった・・・




サークル名活動内容とのギャップがありすぎて驚いたのと、今まで聴いたことのないジャンルを演奏してる光景を見てしばし固まってしまった・・・


その先輩達の圧倒された練習風景を見て

「自分はまだまだだなぁ~」

と改めて痛感し凹んだのと同時に、

「ここなら色々面白い事がありそうだ。」

という期待も膨らみ、その日に入部希望を部長に伝えたのであった・・・


続く


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足跡 その19
少し間が空いてしまったが、本日から止め処なく続くどうでもいいストーリーの「足跡」の大学生からその後を綴っていこうと思う。また今回も途中で投げ出さずに続けられるように自分に言い聞かせつつ、スペースを埋めていくのでどうぞよろしく。




受験勉強の荒波を何とか乗り切り、4月からの生活の舞台は雪深い秋田から華の都大東京へと変わっていく私。これからの生活に胸をときめかせながら入学手続きや部屋探しなどに奔走し、家では東京の住まいに持っていくものとかの準備を進めていた。これを機に家電製品も買い揃えなければならなかったので、より良い音楽を聴けるようにコンポも新しいのに買い換えるなど音楽環境においての準備にも余念がなかった。

ちなみに東京で初めて住んだ場所は大田区の大森。東京において若葉マークっぷりを発揮してJR線沿いではなく、京浜急行沿いをチョイスしてしまった。
とはいえこの場所はかなり住みやすかった。駅から徒歩5分の商店街沿いにあるマンションだったので色々と便利なのだが、ただ一つ難点を挙げるとすれば、最寄り駅が「各駅停車」しか止まらなかったので、急行や特急、快速特急にバンバン抜かれてしまい、思った以上に電車に乗ってる時間が掛かってしまうことぐらいであった。



この頃は何とか親の望みである「大学入学」も叶ったので、態度の方は幾分軟化していた。とはいえもはや口癖と化していた

「勉強しろ!!!」

「しっかりやれ!!!」


はたまに出てきていたので、





















3104「もう親の願い叶えたんだから、これ以上は俺の行動に干渉するな!!!」

親不孝MAXの暴言を吐いてしまう・・・

けれどもこの一言があって大分両親と息子の距離感が絶妙なバランスになった気がする。(実際一緒に住んでたときよりも今のほうが家族仲が良い。やはり自分だけは家族と一緒に住むと色々と問題が生じてくるのかもしれない・・・)


とまぁ色んな部分で新しい自分の居場所を確保出来たところで大学の入学式がやってきた。
(ちなみに我が家では学校の入学式には「母親」卒業式には「父親」という何とも謎なルールが存在してる。それにまつわるエピソードはこちら)


肝心な式の内容はさっぱり覚えてなかったが、やっと手に入れた自由を噛み締めつつ心はうわの空だった気がする。
そんな感じだったので気がつけば入学式も終わり、多少の説明が講堂で行われた後解散。何にも無かったけどやたらと疲れたので、この日は速攻で帰って家の周りを探索して本屋やCD屋を探しまわったり、初自炊にトライしたりと生活レベルの安定を図っていた。

そして日付が変わって大学生活2日目。この日からは普段のキャンパスライフが垣間見えるようになり、大学内の風景やサークル活動等のよくある光景が広がっていた。もちろん新入生の勧誘は激しく、特に運動系のサークルからは熱心に勧誘を受けていた・・・
とはいえ私は音楽をやりたかったので、それらの屈強なマッチョの包囲網を潜り抜け楽器の音が鳴ってないか色々探し回ってみた。


すると大学内のとある一角で2人組の男の人がギターで弾き語りしてる現場を発見。突然話しかけるのには多少抵抗があったものの、このチャンスを逃してはいけないと思い勇気を出して話しかけてみることにした・・・


続く


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ここでちょっと一息
つい先日


「無双OROCHI」



という禁断のゲームを買ってしまった・・・

平たく言うと人が簡単にクズになれる位にハマってしまうとどうしようもないゲームである。

私はこの無双シリーズは全部やってるし、全部のキャラクターを最強にするという特に誰も褒めない事に情熱を注ぎ込んでしまうのだが、今回の作品は今までのシリーズ(三国無双、戦国無双)の登場人物が総出演というファン待望の作品になっている。

早速購入してゲームを開始すると・・・



















ヤバい・・・止まらない・・・

病気で寝てるか、起きたらコントローラーしか握らないという誰にでもわかるクズな生活に堕ちていってしまった・・・



今日も咳を薬で抑えつつ

「いざ出陣!!!」

とか

「敵将打ち取ったり~!!!」

などのかけ声が池袋の我が家から漏れている・・・


このOROCHIドップリな生活は当分続きそうである・・・

3104
足跡 回想(その1~その18まで)
とまぁ自分の音楽遍歴を振り返ってみようと試みたこの企画、一応その18まで終えた時点でようやく話の導入部が終わったところである。
しかしながらこんだけ時間を割いてもなお書ききれてない部分や、振り返ってみてなおさら思い直してしまう部分などいろいろ出てきたので、今日はそんな高校生活までの自分を顧みる日にしてみようと思う。

まず始めに音楽をやろうと思い立った理由を
「自分を変えたい!!!」
という風に表記した。(足跡 その2参照
もちろんそれが根本にあったのだが、それに付随する形で「モテたい」というのもあったのは疑いようのない事実である。

まぁこの当時(中学生の頃)はやはり運動できるヤツがモテるのが定説である。最初はそれにならえでがんばってみたものの、運動における自分の才能には早々と見切りを付けてしまった・・・

となると残された道はワル音楽ぐらいしかチヤホヤされないんじゃないかと私のショボイ大脳がはじき出した。

とはいえワルに関してはそこまで情熱を傾けられなかった。やっぱり痛いのが嫌いという己の性格が邪魔してたのだと思う。となると当然選択肢は「音楽」となるのは至極当然の流れであった。

とまぁかなりよこしまな思いが最初はあったものの、気がつけば音楽の魅力にドップリとはまり最近は身なりがだらしなくなるわ我が道を進むわと、やってもやらなくても自分のモテ偏差値には何の影響も及ぼさない事に後々気づいていく。やはりモテる人は何やってもモテるのである・・・


高校の時の学生生活は
本当につまらなかった
と今更ながらに思ってしまった。もちろんT-K君と出会えて音楽の知識やドラムの知識は深まったし、I君とは節目に飲み会を開く位今でも繋がりがあるのだが、それ以外は暗くて退廃的な生活だったと認めざるを得ない内容だった・・・(記憶もほとんどがうろ覚えだし)
けれどもその反動で大学生からの生活は今までにないくらいアグレッシブな方向へシフトチェンジしていくのだから自分の中では必要な期間だったのかもしれない・・・


そしてやはりY君K君M君などの中学の友達(他にもいつも集まるメンツは4人いる)には感謝しっぱなしである。彼らに出会わなければ音楽をやらなかったのかもしれないのだから・・・
はたして自分がこういった道を選ぶのが必ずしも正解なのかどうかは分からないが、少なくとも選んで後悔した事は今の時点では無いのでそれでいいんだ思うようにしてる。

あの頃から出会ってから10年以上も経つのだが、今も変わらず盆正月は全員集まるし今でもあの時と変わらずに遊べてるのはうれしい限りである。


あと地元秋田でやったライブに関してなのだが、今の自分が見たら間違いなく穴を掘って隠れたいくらい演奏レベルは下の下だと思うのだが、ドラム人口が少なかったという今でも根強く残る問題点に助けられた形で、さしたる挫折もしないまま勘違いするには十分な環境だったと思う(その後しっかり洗礼を受けるのだがこの話はまた後日)。

例えばもし私がギターをやってたら周りにやってる人が多かったから思ったよりも早く諦めてまた吹きだまりみたいな生活をしてたかもしれない。

とまぁ色々な偶然が重なって今でも音楽を続けている事、こうして日記という形で過去の赤裸々な部分をお披露目できる事がある意味奇跡だなぁと書きながら改めて思う私の昔話であった。


3104

足跡 その18
日付的には何の変動も無いのだが、ここ数日病に犯されて寝込んでいたので更新の方が滞ってしまっていた・・・
それを知って知らずか
「早く更新しろ!!ゴルァ!!!」
と脅迫まがいの訴えを喰らっていたのだが、ようやく体調も回復しつつあるのでまた足跡の続きを書きなぐっていこうと思う。



遂に「CHARISMA 31」(カリスマサーティーワンと読む)の初ライブの日を迎え意気揚々とライブハウスへと駆け込む3人。
場所は人生初ライブの会場にもなった「秋田サウンドサプライ」であった。
2回目だから多少の緊張は和らぐかなと思いきや、今回はヴォーカルという大役を任されてる事もあり、前回以上の緊張が体を駆け巡っていた・・・

今回のリハーサルは相変わらずセッティングに関してのこだわりは無く、ただただドカッと座っては適当にかき鳴らしてる様は変わりなかった。そして肝心要のマイクの位置は腕にぶつからない程度の場所を確保し(インカムなんかあるはずもなく)、ジャイアンリサイタルばりのがなり声を発してた・・・

こんな感じで何とかリハーサルは終えたものの、未だ歌詞に関して一末の不安が拭い去れなかったので、常に歌詞カードを眺めては必死に覚える作業を繰り返してた気がする。

そうこうしてる間に人がワラワラとライブハウスに入りだす時間になった。今回も前回同様友達のイベントに参加させてもらう形だったので、例に漏れず健康的な時間に始まり、しかも会場内には友達以外にも見知った顔が何人かいてさらに緊張が膨れ上がった。

そして開演と共に1バンドが轟音を掻き鳴らし運命のカウントダウンが始まった・・・刻一刻と迫り来る出番、メンバーのY君(ギター)やK君(ベース)もそわそわしつつ楽器を弾いてウォーミングアップをしてた記憶がある。


その後も色々なバンドがライブをして遂に我々の出番がやってきた。
そわそわしながらステージの上でドラムの位置につくと・・・













やっぱり人が多い・・・
(多くの人に見て貰いたいという気持ちがあるものの、いざその場に出くわしたらチキンなマイハートは尻込みしてしまうのである・・・)

私の記憶が確かなら、お客さんはみんな地べたに座ってほぼ全部が埋まってる状態だった(ライブハウスのキャパシティはスタンディングで100~150人位のサイズ)。しかも今回は「ドラムボーカル」という望んでもいないのに奇抜なポジションが割り振られたもんだから自然と人目にもつきやすい・・・

もはや動悸に近いぐらいの速さで心臓が鼓動したまま「CHARISMA 31」のライブが始まった・・・


多分1曲目は黒夢
「FAKE STAR」
だった気がする・・・



実際ライブが始まると、マイクの位置の関係で客席をダイレクトに見ることはなかったので結構楽だったのだが、お客さんの視線よりも己の体力の方がしんどかった。やはり本番ということもあって、明らかに練習よりも3割増しの強度で叩いてたし歌っていた・・・それが祟ってか後半は明らかに疲労困憊の色が強く、どうやって終わったのかも曖昧なくらいある意味完全燃焼のステージであった・・・


ライブ終了後はまだ外は寒いのに汗だくになっててぐったりしてた覚えがある。それでもやり遂げた達成感変え難い感動が自分の中には残ってた・・・
(その後色々な友達からの評価を貰い、益々勘違いして東京に飛び立っていってしまうのだが東京からの話はまた後日)

こうして「CHARISMA 31」最初で最後のライブを終え、秋田の桜が咲く前に新しい生活の舞台となる東京へと話は移り変わっていく・・・



これで「足跡」シリーズでの私の高校生までの話が完結した。予想よりも長くかなり時間を要したのだが、とりあえずここまで書く事が出来てまずは満足。
まだまだ続けていく予定なので、また気長に覗いていただければ幸いである。


続く


3104


追記
ちなみに当時のセットリストを必死に思い出してたのだが、全部を思い出せなかった。その中でも
「FAKE STAR」
「カマキリ」
「CAN’T SEE YARD」
「NEEDLESS」
「Like A Angel」

とかはやったような気がする・・・(全て黒夢なのはいうまでも無い)

しかも恥ずかしいことにその当時の

ライブビデオ

が多分

メンバー各自1本ずつ持ってるはずである
(Y君が気を利かせて人数分ダビングしてくれた)。

たしか大学2年生の頃自宅で部屋の整理してるときにたまたま再生したラベル無しのビデオがそれだった・・・
画面の向こうにいる自分が文章で表現するのもはばかれるくらい凄まじかったので(例えるなら「リング」の「呪いのビデオ」級)、速攻我が家のブラックホールへと放り投げて今現在まで行方不明である・・・
(大切な思い出なので捨てはしなかったが、出来れば見たくないものである・・・)

そのため正確なセットリストを表記できなくて申し訳ないと今になって思うのである。
足跡 その17
~前回までのあらすじ~
遂にライブの日バンド名が決まった我らのバンド。しかし肝心要のボーカルが一週間前にドタキャンするという不祥事が起こってしまう・・・
はたして「CHARISMA 31」はこの事態をどう乗り越えていくのか?運命のライブまで後一週間・・・



とりあえず3人で緊急会議を開きDOするのかを話し合う事にした。ライブキャンセルなどというネガティブな話は出るはずもなく、ボーカルを誰がやるのかという話の流れになっていく。その中で
1:新しいボーカルを今から探す。
2:3人のうち誰かがボーカルをする。

という2つの案が出た。
正直この時期に差し掛かっていたし、今回みたいなことがまた起きるのは勘弁して欲しいという事で、2番のアイデアが採決された。(一番やりたい人が多そうなパートなのに結局最後まで決まらなかった。本当にツイてないバンドである・・・)

じゃあ誰がやる?という方向になるのは至極当然の事。その頃のバンドのボーカルイメージと言えばギターを持って歌ってるケース(Mr.Childrenとかスピッツ等)が多かったのでY君(ギター)が妥当だろうとなった。しかし如何せんY君の声が低く、本人も超乗り気でなかったのでボツ

それならばという事でK君(ベース)がボーカルをやればいいという流れになった。彼は歌もうまく黒夢の曲なんかもカラオケで歌ってたし、ステージ映えするだろうと言う事で本決まりかと誰もが思った・・・













がしかしK君がかたくなに拒否の姿勢を貫いたのであった・・・
(本人曰く「ベース弾きながらは歌えない」というのが公式な理由)


そうなるともう残された選択肢は当然の事ながら・・・















ドラムの私がボーカル


となってしまう。正直ボーカルをやるなんて思ってもみなかったし、ドラムボーカルなんてC-C-B位しかないだろ?とどっかの野党ばりに反対してたのだが、2人は強烈なスルーパスを私に送るばかりで一向に譲り合うばかり・・・

そしてY君K君

「コーラスは頑張るから!!!」


という何とも言えない協力的な姿勢を見せてきたので、これ以上はしょうがないなと思い自分がボーカルをとる事になった・・・


こうして我らのバンドは
「CHARISMA 31」

Gt:Y君
Ba:K君
Vo&Dr:3104

コピーする曲:黒夢



という形でライブする事になった。

さて土台がようやく固まったもののここからが大変。今までドラムだけで手一杯だったのに急遽ボーカルという負荷も加わったので、約1週間歌詞カードを見てはドラムを叩きながら歌う練習をしてた。


そして遂に運命の日が訪れた・・・
卒業後は3人ともバラバラの生活(秋田,茨城、東京)になる為、このメンツでは最初で最後のライブになってしまう。
思えば初めて楽器を持った時からずっと苦楽を共にしてきたメンツで奏でる演奏。絶対にいい思い出になる様に,と願いながらライブハウスに自転車で向かう3人であった・・・


続く


3104
足跡 その16
つい先日友達と遊ぶ機会があり、その流れで久々にカラオケに行く事になった。最初は自分の歌いたい歌を適当にチョイスして盛り上がってたのだが、おもむろにスピーカーからX「紅」が流れ出した・・・
「おっ!?懐かしい。誰が歌うのかな?」と思ってたら、
友達が一斉にマイクを私に向けて歌わせようとしたのである・・・
いやいくら昔好きだったと書いたとはいえあの声の高さなど出るはずもなく、ましてや6分もヘッドバンギング出来る体力も持ち合わせていなかったので、止むなく「演奏停止」を押したらもの凄いブーイングを喰らってしまった・・・

ちょっとした驚きがあったとはいえ、密かに日記を読んでくださってた方がいたのは嬉しい限りである。
それでは本日も足跡の続きを書いていこうと思う。物語の舞台はそろそろ高校生最後の時期に突入していく・・・





ようやく卒業後の進路も決まり後は卒業式をむかえるだけの状態となった高校生活。でも私の心はすでに卒業ライブの方へと向いており、受験で我慢してた余波もあり日夜練習に励んでいた。
ちなみにその頃コピーしてた曲は「LUNA SEA」から「黒夢」に徐々にシフトチェンジしていってた。それは黒夢が出した「1997.10.31 LIVE AT 新宿LOFT」と言うアルバムに衝撃を受けたのと、前々から頼んでいるボーカル候補の人が

「黒夢だったら、歌ってもいいよ。」

的な事を言ってたのでそれならば・・・という感じで黒夢の曲をコピーしていった。


そして徐々に準備を進めていった矢先にY君(ギター)とK君(ベース)で組んだバンド待望の初ライブの日にちが決まった!!!
(正確な日にちは忘れてしまったが、卒業式の少し後だった気がする。曖昧で申し訳ない・・・)

俄然テンションが上がってやる気と爆音をほとばしらせていたのだが、ここでこのバンドに付きまとう「バンド名」「ボーカル」問題に決着をつけなければいけなくなった。
という訳でY君とK君でバンド名を決める秘密会議を行った結果、我々の未来を担うバンド名が、






















「CHARISMA 31」
(カリスマサーティーワンと読む)



というのに決まった。今も思うのだが、何をもって31(サーティーワン)なのか?謎なのだが、ベースのK君
「これじゃなきゃやる気しね~!!!」
と赤ちゃんもびっくりのダダをこねたのでこれに落ち着く事になった。

こうして「バンド名問題」は決着を迎えもう一つの問題点であるボーカルはY君の高校のクラスメイトH君にお願いする事にして,ライブまでラストスパートをかける事にした。


日にちも大分押し迫っていたが、H君とともにリハーサルする機会に恵まれず3人でスタジオに籠る時間が多かった。けれどもボーカルは家で曲を聴きながら練習できるし大丈夫だろうとタカを括っていたらライブ本番一週間前くらいに,

























H「やっぱり俺歌うのやめるわ・・・」



と突然ドタキャンしてしまう・・・
(しかも私やK君は一言も話した事はなく、Y君にその事を伝えたらしい・・・)



MA・JI・DE!?





もうその時の衝撃ったらなかったし、3人でライブハウスに立つ夢が一気に遠ざかった気がしてならなかった。
しかし目前に迫った憧れの舞台を諦めきれるはずもなく我らが「CHARISMA 31」(カリスマサーティーワンと読む)は驚くべき決断をしてライブハウスに立とうとするのだが、この話はまた後日・・・


続く


3104

足跡 その15
前回の日記にもある通り高校3年の11月から急に受験勉強を始めようとブームに乗り遅れすぎの私。果たして大学受験の結果はどうなってしまうのか?
本日の足跡は直接音楽に関する事は少ないかもしれないが、これを経た後に卒業ライブへと話が進んでいく事になるのでどうかご愛読あれ。


とりあえず気合いを入れて勉強を始めた訳だが、全くをもって基礎がなっておらず泣く泣く高校1年の教科書からやり直さなければならない体たらく。それでも3ヶ月後には自由を勝ち取ってやるんだという意気込みで受験勉強に取り組んでいた。

この11月~2月までの3ヶ月間はみんなの溜まり場として市民権を獲得したY君のお宅には寄らず、学校と家を往復する毎日が続いた。とはいえドラムの練習を止めた訳ではなく、学校に行けばクラスメイトのT-K君からバンドやらドラムの事を教えてもらい、家で勉強の合間にちょっと練習する感じで細々とではあったが続けていた。

当時の模擬テストでの志望校の判定はオール「E」(簡単に言うと「バカはもう諦めろ」) で親の枕がビショビショになるくらいがっかりさせていたのだが、12月に入ったあたりのテストでは「B」(簡単に言うと「まぁいんじゃね?」)や「C」(「運次第」)判定と徐々に希望が持てる結果になっていた。

それもこれも
「決して無理はしない」
というのを前もって決めていたからだと思う。クラスメイトとかは「今の自分よりも高いところを受験しよう!」と向上心旺盛な方々が多かったのだが、そうなるとやはり判定もなかなか辛い結果になり、勉強はすれどテンションは下がっていき気持ちに余裕がなくなって負のスパイラルに巻き込まれてる人も少なくなかった。

しかし今回の私の場合の目標は

「ハイレベルな大学に行く」

ではなく

「とりあえず東京に出るきっかけが欲しい」

だったから、選択科目もガンガン簡単なのにシフトチェンジしていった。あとはやはり高校受験に失敗した苦い経験もあったため、危ない橋はなるべく渡らないようにしてた。

その後の成績も徐々に右肩上がりになり、「センター試験」を向けた頃にはそのピークに達していた。結果は自分でも驚くぐらいの内容であったし、志望校の判定結果もここで初めて「A」(「お見事~!」)を記録したのであった。
そういう経緯を経てが先日書いた「プチホテル暮らし」に話がつながっていくのである。

とまぁ勉学に関して大まかに話すとこんな感じだったのだが、やはり中学3年の時からほぼ毎日通っていたY君宅にも行きたかったし、ドラムもでっかい音を出したくてしょうがなかった。けど短い期間ではあったがあの時に我慢出来てよかったなと改めて思った。(今まで生きてきた中で一番勉強した期間でもあったし)

こうした紆余曲折を経て高校卒業後の自分の進路も決まり、中学校から付き合いのある友達全員の進路も決まった(ちなみに自分が一番結果が遅くて心配かけた)。となると当然次に起こすアクションはY君とK君で約束した「卒業ライブ」に向けて活動再開し今までの鬱憤を晴らすが如くリハーサルを重ねていくのであった・・・

そして「ボーカル不在」「バンド名未確定」と活動に大いに問題あるバンドがこの後急転直下で時の車輪を回し始めていくのだが・・・








この話はまた後日。

続く

3104

大学試験がすべて終わったあとで久しぶりに3人(Y君、K君、自分)でスタジオに入ったら、あまりの爆音に耳がキンキンした・・・慣れというのは恐ろしいものである・・・


追記:よくよく読み直してみると中学からの友達「K君」がいて、高校のクラスメイト「K君」だった事に気づいた。

ちなみにこのK君は同一人物ではないため

・中学からの友達 → K君  
と変わらず
・高校のクラスメイト → T-K君
と変更させてもらった。お見苦しい点があって非常に申し訳ない・・・
足跡 その14
本人の予想を遥かに越えるくらい長丁場になってしまったこの「足跡」シリーズ。
最初は何気ない思い付きから始めたのだが、これが書いているうちに
「そういえばこんなことあったなぁ・・・」
とか
「この出来事の前にはアレがあったなぁ・・・」
と書いてる途中に色々思い出す事が多くて、中々次の展開に進みづらいのが現状である。
話の中での私はまだ高校3年生(中学1年生頃からスタート)だし、ドラムを始めてからはまだ1年も経っていないヒヨッコなのに既に14話目。
まだまだ終わる気配が見えなくて自分が一番焦っているのだが、どうぞ皆さんはお気楽にゆるりと眺めていただければ幸いである。



さて時は高校3年生の初秋(9月頃)の話。前回や前々回の話でも常にチラついていた「進路」について色々考えなければいけないお年頃に差し掛かってた。
正直私はもう勉強する気は更々無かったのだが、進学クラスというカテゴリの中で巻き起こる人間模様(よくある「進学率99.9%」とか、「先輩達はこんな大学に受かってます」的なもの)のおかげで担任や進路指導なんかでは
「進学」
を強烈にゴリ押ししてきた。

最初の方は私にも必死に刷り込みを行っていたのだが、みるみる目の輝きが濁ってきたのに気付いた担任は、周りへの悪影響を考慮して特定の科目のときに優秀な人たち学力雑魚集団のクラス分けなんかをして対策を施していた。

(もちろん私(ついでにT-K君)は「雑魚」に組み込まれていた事はいうまでもない・・・)

そんな感じでやんわりとハブにされてた毎日だった為、自分の中では勉強する意欲とかは次第に低下し、その代わり音楽に対する向学心がドンドン強くなっていた。
とはいえ両親は高校3年まで何とか通ったんだからせめて大学までは進んで欲しい、という願いは日ごとに膨らんでいき、ドラム開始当初にあった開放的な雰囲気は無くなり、二言目には

「ドラムやる暇があれば勉強しろ!!!」

と怒鳴るようになっていた・・・


もう半ば私の耳には届いていなかったのだが、これから先卒業してからもここに住んでる限りはこんな展開が延々と続くんだろうな、と推測できるくらいにすさまじくなってきてたので、


「誰にも干渉されず好きなことを続けるには?」


というテーマで色々と悩んだ結果・・・



















「そうだ東京の大学に行こう!!!」




という高校生らしい安易な結論に辿り着いた。それに気付いたのはちょうど自分の誕生日(10月17日)付近と明らかに他よりグランド3周くらい出遅れているのだが、ここで初めて受験勉強に取り掛かっていくのであった・・・

もちろん目的は

・親に干渉されない
・一人暮らし
・好きな事を目一杯やる


とよこしまな目標だけだったので、偏差値の高い大学には興味が無くもっぱら「ちょっと頑張れば入れそう」的な学校をひたすらリサーチしてから勉強に取り掛かった。


一方バンドの方は相変わらず「バンド名ナシ」「ボーカル不在」の状態ではあったが、来たるべき初ライブに向けての練習は欠かしてなかった。しかしながらさすがに受験勉強と平行してやれるほど器用な人間ではなかったので、


「11月から2月までは受験勉強させて欲しい」


とメンバーのY君K君にお願いした・・・
すると彼らは快くその申し出を受けてくれて、我らのバンドはライブを一回もしないで「活動休止」となった・・・



そして10月最後の練習を終えて、卒業後に必ずライブしよう!!!という約束をメンバーと交わして私は受験勉強に取り組んでいくことになる・・・


その後の話はまた後日。


続く


3104
足跡 その13
~前回までのあらすじ~
ようやく初ライブも終え、その刺激でY君とK君のバンドに関しても俄然熱が入る様になり、今まで以上に音楽に燃えていく様になったのだが、ここでまた新たな展開を迎えていくのであった・・・


一夜限りの夢を心行くまで堪能した私を待ってたのは、またいつもと変わりなく授業中に時計ばかりを眺める毎日であった。受験生の山場といわれる夏休みもダラダラと過ごし「音楽」「異性」以外にはことさら興味を持つ事はなかった。けれども今までとちょっと違ったのは、前までは「ライブでキャーキャー言われたい!!!」という本能丸出しだった思いに、初ライブを終えて一皮むけたのか「もっと上手くなりたい!!!」という感情も芽生え始めてきてた。

そんなある日の休み時間、教室でボーッとしてたら不意にとあるクラスメイト(男)が音楽雑誌をおもむろに開いて読んでいるのを発見した。
そのクラスメイトは結構面白い人で、私以上にツイてないクジ運と毒舌を持つ貴重な存在であった。そんな彼が何かに取り憑かれた様に雑誌を見てる姿に惹かれて話しかけてみる事にした。


森「何読んでるの?」


クラスメイト「ん?これはV系の雑誌。」


森「へぇ~、意外だね。好きなのこういうの?」


「そうだね、今やってるバンドがこれ系だから・・・















なぬっ!?今なんて言った!?



砂漠で迷ってる時に偶然オアシスを発見した探検家の気分である。こんな音楽不毛の地で意外な所から同類が出てきたのであった。その人物が今でも盆正月に会う高校のクラスメイトのT-K君である。
早速さらに込み入った話を展開していく2人・・・

森「エッ!?マジDE?パートは何やってるの?俺はドラム最近やり始めたんだ。」

T-K「へぇ~、俺もドラムをそこでやってるんだ。」


森「うっそ~ん!いつ頃から始めたの?俺は今年の冬(高校2年の冬)からなんだけど。」

T-K「俺は去年の夏(高校2年)かな。」


どうやら彼の方が先にバンドやドラムを始めてたようで、当時の私の知らない知識(音楽、ドラム共に)をいっぱい貯えていた。当時は教則本だけではどうしても理解できない部分が多々あってもそれを教えてくれる人が身の回りにいない、という問題が発生してたのでこれを機に色々な事を教えてもらった。

そのオマケでと言っては何だが、V系のインディーズバンドもこのときたんまり教えてもらうのであった・・・

こうして学校ではT-K君から知識を吸収し、放課後は溜まり場のY君宅でY君K君の練習を眺めては他の友達ともダラダラして、夜は勉強すると称してずっとドラムの練習(音無し)に励んでいた。


そうこうしているうちに季節は紅葉の美しい秋に差し掛かり、嫌が応にも進路について考えざるをえない時期に差し掛かった。この頃は私のアビリティとも言うべき「無気力」もある程度は収束の方向に進んでいた。そうなれたはもちろん音楽のおかげでだというのも分かっていたし、出来ればこれからも続けていきたいという気持ちもあった。
そこで私は
親からいちいち反対されず音楽を続けていくにはどうしたらいいのか?

と新たな道を模索していくのであった・・・

続く

3104
足跡 その12
~前回までのあらすじ~
遂に訪れた人生初ライブの当日。全国の大学受験を目指す学生たちが頭を抱えながら必死にテストに明け暮れてる中、音楽にドップリの生活を過ごす事に成功したノーフューチャーな私。クラスメイト(元)彼女にはいい所見せれないが、それでも気持ちは常に天高く舞い上がってた・・・



はてさて、その記念すべき会場は「秋田サウンドサプライ」というライブハウスでM君の友達が企画したイベントにであった。やはり高校生が中心になって行われたイベントだったと思うので、今みたいに夜20:00出番とかそう言ったものではなく夕方くらいのえらく健康的な出番だった気がする。
(もうこの辺の話はかなり前だった事と、異常に緊張し過ぎてて周りがよく見えてなかった事が災いし記憶が曖昧な部分があって申し訳ない・・・)


もちろんリハーサルもやったりしたのだが、如何せん初めてだったので何をしたらいいのかさっぱり分からず、ただここは練習する場なんだとひどい勘違いをして、他の人がサウンドチェックしてる横でひたすら叩きまくってた気がする・・・
しかもセッティングの仕方もまるで分かってなく、前の人のセットでそのままドカッと座って、騒音をまき散らしていた・・・

そしてリハーサル終了後はどこに居ても落ち着かず、他のバンドは全て上手く聞こえてビビりつつ、外に行ってはすぐ帰ってきたりトイレに行く頻度も多くなっていた・・・
時が経つのもすっかり忘れてオロオロしてたら、いつもの友達が勢揃いでライブハウスに入ってきてステージからは爆音が響き始めたことで、ようやくライブが始まった事に気付くのであった。

その後何バンドかが演奏してたのだが、己で精一杯だった私は緊張のあまりトイレの近くでずっと体育座りをして時間をつぶしていた・・・

そんな気が気でないひとときを過ごしていたら、前のバンドの演奏が終わりいよいよ自分の番が来た。震える体を引きずりながらドラムセットに向かったのだが、膝は頼んでもいないのに16ビートを刻むほどのうろたえっぷり。
当然セッティングをするという行為などは頭の中に入っておらず、今回例に漏れず前の人の配置のまま演奏を行うという愚行を犯すのであった。(しかも前の人が結構椅子が低く設定したみたいでちょっと窮屈だったのを覚えてる・・・)

色々と不備のある準備を済ませて客席の方を見たらそこそこ人が入ってる事を改めて確認し、それを受けて心臓は32ビート級のあり得ない心拍数を記録するぐらいに舞い上がり、そんな状態のままで中学2年から思い描いていた夢舞台になだれこんでいくのであった・・・













演奏やライブの内容に関しては興奮と緊張とあまり一切覚えていなかったのだが、演奏終了後に沸き起こった拍手がこれまでの人生にない位に感動したのだけは覚えてる。
しかもライブ終了後友達からお褒めの言葉を賜り、えらく上機嫌になってしまったし、当然Y君K君からは


「次は俺らも出ような!!!」


と改めて誓い合うのであった。

ちなみにこれがきっかけで俄然調子に乗ってしまった私はますます音楽にハマり込んでいくのであるが、徐々にこれから先の事を考える様にもなっていた。
そんな折りにまた己のドラム道を更に広げてくれる人物に出会い新たな展開をみせていくのだが、この話はまた後日・・・


続く

3104
足跡 その11
~前回までのあらすじ~
遂に初ライブの日取りも決まり、意気揚々とスケジュールに印を付けようとしたら「全国模試」の日とかぶってしまうという何とも言えない状況。しかしながら心は「初ライブ」にゴッソリもってかれてるので、この事態を如何に音楽を犠牲にしないで乗り切るか思案に明け暮れるのであった。



まずアイデアを一通り挙げてみる・・・
1:ライブ優先でテストは受けない
2:ライブをキャンセルしてテストを受ける
そして
3:ライブとテストどっちもこなす

という案が出揃った。
私の気持ち的には1番が最有力なのだが、これをゴリ押ししようとすると置かれてる立場的なものが災いし、2番になる可能性が高くなってしまう・・・
となるとやはり3番を選ばざるを得ないんだなと思い、とりあえず3番のアイデアでいかに乗り切るかを考えてみる・・・

すると今回のテストは8月9日8月10日2日間に分けて行われることに気付いた。そこで私はそのテストを8月9日の1日で消化しようと企んだ。

正直言ってこの段階で受験対策などまったくしてなかったので、結果がピラミッドの底辺に位置することなど火を見るより明らかだったのだが、「参加することに意義がある」的な考えが親にはあったようなので、どんな結果であれテストは受けるべきだと主張して止まなかったのである。



そういった背景も考慮に入れ、もはや生き残る道はこれしかないと腹を決め、とりあえず親にこの旨を伝えてみると・・・


父「何を考えているんだ!?ゴルァ!!!」


と最初は怒鳴られたものの、もはや「ワレモノにつき取り扱い注意」のレッテルを貼られていた私にそう強く押さえつけるような行動を取ることもなく、


父「まぁテストをちゃんと受けるならいいだろう・・・」


と渋々承諾させた。
こうなると俄然(音楽に対して)やる気がほとばり、その勢いのまま担任に


森「8月10日は親戚の集まりがあるので9日にまとめてテスト受けたいんですけど・・・」


と強引に詰め寄り許可を貰うことに成功した。こうして心配する事は何一つなくおもいっきりライブを楽しめる環境を整える事が出来た。
もちろんテスト勉強はおざなりのまま、来る日も来る日も初ライブの為に練習なりリハーサルの毎日であった。


そして運命の日の前日の8月9日。某有名予備校の全国模試で夏休みなのに学校で缶詰にされ、しかも人よりフライングで他の科目を受けた私。この日で5教科全てをこなしたのだが、結果の方は今更ここでスペースを割いてまで説明する必要もないが、まぁ「案の定」 といった所である。

しかしそんな散々たる結果など尾を引くはずもなく、不安と緊張で眠れない夜を過ごして運命の日の朝を迎えるのであった・・・


続く


3104
足跡 その10
~前回のあらすじ~
遂にドラムを購入しバンド活動を始めた私。それこそ毎日何らかの練習をして過ごしていたのだが、練習回数に比例してそろそろライブがしたいと思うお年頃に差し掛かってきていた。
とはいえ今組んでるバンドはボーカリスト不在の厳しい現実の為、ライブハウスデビューはまだまだ先になると思っていた矢先、予期せぬ方向から初ライブへの道が開かれてゆくのであった・・・




時は高校生活の最後の年である高校3年生。ドラムをやれると決まってからはつまらないながらも何とか高校に通っていたのだが、そろそろクラス内には「大学受験」という忌まわしい言葉が蔓延してた。
志望大学はどこにするとか、これくらいの偏差値だとどこに行けるとか、私にとってはかなり息苦しい環境にあった。もちろんその波に完全に乗り遅れてしまった私は受験勉強に取りかかる事もなく、クラス内から「あいつはもうダメだな」的ポジションを確立しつつあった。
そのため周りがピリピリしだしても我関せず、毎日ドラムやライブの事を考え授業や補習は完全に上の空であった。


そんな生活のまま迎えた夏前のある日、同級生と一緒にバンドを組んでたM君(ベース)から

M「あのさ~、今度8月にライブするんだけど、ドラムが居なくて困ってるからやってくんない?」

という誘いを受けた。

遂にライブが出来る!!!


突如現れた禁断の果実を目の前にして私はためらう事なく

森「いいよ!!!やろう!!!」

と即決していた。(当時の編成はうろ覚えだが、ボーカル、ツインギター、ベース(M君)、ドラム(私)の編成だったと思う。)

気になるコピーする曲は

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「Menswe@r」というイギリスのバンドであった。当然我がライブラリーにUKというカテゴリなど当時はあるはずもなく、大いに不安はあったもののライブををしたい気持ちの方が強く今まで以上に練習に打ち込む様になっていたのであった。

ちなみに少し話が脱線するが、この時に一度人生の春が訪れた。しかしこのように音楽にのめり込み過ぎてる状態だった為、非常にガッカリな方向で結末を迎えてしまった。(過去日記参照
しかもその時に人生初ライブのチケットも渡して「俺頑張るから!!!」みたいな感じでイイトコ見せようと息巻いてたのだが、それも叶わぬ夢と散った。


そして何回かリハを重ねていき、演奏力も徐々に上向きつつある頃にライブの日時も

8月10日

と確定し本格的に盛り上がっていくのであった。
ついに憧れのライブハウスデビュー。意気揚々とカレンダーに印をつけようとしたら・・・

















8月10日 全国模試

と全然嬉しくない先約がそこにはあった・・・
過去日記とはまた違った模試であるが、受験生の勝負の時期と言われる夏休みに2日間かけて行われる上半期総決算の超重要なテストであった。
別に私的にそのテストは大して重要ではなかったのだが、両親は我が子の進学を希望して止まないし、学校にも
「この日ライブだから休んでいいっすか?」
とバカなアルバイトみたいな事も言えるはずなく、この事態をどう乗り切るか必死に悩んでいくのであった・・・



DOする!?DOするの俺!?


続く

3104
足跡 その9
~前回のあらすじ~
バンド形態も形になり、ついに待望のドラムセットも我が家に到着し、これから怒濤の音楽生活になだれ込めると意気込んでいたのだが、ココで一つ予期せぬハプニングが起こってしまうのであった・・・



それは















ドラムを自分で組み立てなければいけない!!!


ということであった。いまでは何とも思わないのだが、当時はズブの素人で右も左も分からない人間だったので,バスドラやタムのヘッド(叩く皮の部分)を自分の手で貼付けして組み立てるというのを全然想像してなかった・・・(なんならあの形のまま届けられると思ってた。)

さらに身の回りでドラムをやってる人間がいなかったし、親の手は借りないと豪語したのも災いし、何から何まで自らの力で解決しなければならない状態に追い込まれた。

結局その日の昼から夜までは自分の部屋で教則本と説明書を読みながら黙々とドラムセットの組み立てで過ごす事を余儀なくされた。ちなみに前もって断っておくと、我が家は一応一軒家ではあるが、防音設備などという言葉が生まれていないであろう頃に建てられた家である。しかもドラムセットの置き場は自分の部屋しかなく、隣の家との距離は走り幅跳びとかで飛び移れそうな距離に立地してた。

そんな感じで悪戦苦闘しながらも、太陽が沈みそろそろ夕食の香りが各家庭から漂ってきそうな時間帯にようやくドラムセットが完成した。
そして堪えきれずに入魂のICHIGEKIを出来立てのセットに喰らわしてみると・・・















ズバンッ!!!

とけたたましい音が鳴り響き、私の心も一気に満たされていくのだった。もちろんドラムに関する知識も全然浅く、見よう見まねで組み立てた代物の為でデラックスショボイ音がスネアから放たれてたと思う。けれどもようやくこの環境に辿り着く事が出来た事への達成感で全然気にも留めなかった。

その後夕飯が出来るまでの間、翌日のリハーサルに向けてよくある普通の民家からヘタクソなドラムの音がこぼれていくのであった・・・


そして翌日は運命の初音合わせ。午後の昼下がりに楽器とアンプを持って自転車で現れたY君K君
そうリハーサルスタジオは我が家である。
六畳間の小汚い部屋にドラムセットとギターアンプ、ベースはコンポのスピーカーを利用していざ演奏開始・・・
















最高!!!


この一言に尽きる瞬間であった。演奏はヘロヘロだったと思うし、ボーカルもいない状況であったが、今までにない体験した事のない感覚が3人の胸に去来していた事は間違いないだろう。
それから太陽が地平線に落ちるまでの間、私の部屋は情熱爆音がほとばしるスタジオと化していた。


こうして名実共に音楽活動が出来る様になった私。練習も我が家でやったり、お金を貯めてスタジオに入ってたりしてガンガン練習に明け暮れる日々が続き、気がつけば高校生活最後の3年生の春。
そろそろ
「ライブしてぇ~~!!!」
と沸き起こってくるのが当然の感情なのだが、未だボーカルが決まっておらず3人で曲だけを演奏するので手一杯だった為、もう少し時間がかかるだろうと思っていた。
しかしそんな矢先思いも寄らない方向から初ライブへの道のりが用意されたのであったが・・・


この話はまた後日。

続く

3104

追記:ちなみに人生初の演奏曲は「LUNA SEA」「TRUE BLUE」である。
足跡 その8
~前回のあらすじ~
遂に親に頼み込んでドラムをやっていいという許可を貰い、ちょっとづつ音楽の世界に入り込もうとしてた私。この日から家でゲームのコントローラーのかわりにスティックを持つ生活へと変わって行くのであった。


4年越しの恋を実らせた私はすぐに友達にこの結果を報告し、年明けから活動が出来そうだという事を伝えた。

そしてバンドは
ギター:Y君
ベース:K君
ドラム:3104

という編成で産声を上げた。
(ちなみにみんなと同時期に始めたベースM君は高校の同級生で作った別のバンドで活動してた。)

これを受けて俄然盛り上がりを見せたのだがココでちょっとした問題点が発生した。それは上の文章を見ていただければ何となく察しがつくと思うが、

1:バンド名がない!
2:ボーカリストがいない!
3:曲は何をやる?


とう点である。
1番はいずれ決まるだろうと思って全然気にしてなかったし、2番の問題点はいつもみんなでカラオケに行ってガンガン歌ってたのに、いざバンドで・・・となると誰も立候補しなかったのであった。とはいえ最初はそんな状況でも全然苦にならなかったし、曲を演奏できるだけでも十分満足であったので先送り。
しかし3番に至ってはちゃんと決めておかないと後々面倒な事になると思ったので、この点だけは3人でやりたい曲をリストアップしていく事にした。

ここで賢明な「足跡」シリーズの読者なら
「おまえはXで決まりだろ?」
と思うだろう。しかしながらその頃の私の中で「X」はアイドルに恋する様に「触れずに遠くから眺めるもの」的なポジションいいたのでコピーしようとすらも思わなかった。確かに技術的な部分から見ても到底出来るはずもなかったのだが、そっちの気持ちの方が強かったのを覚えてる。

そういう事もありつつ私は「LUNA SEA」をやりたいバンドの候補に挙げた。
友達は「LUNA SEA」も上げたのだが、他に「GLAY」とか「L'Arc~en~Ciel」も挙げていた。
ちなみに女の子ボーカルを見つけて「JUDY AND MARY」をやろうというアイデアも出たのだが、私とK君のリズム隊による猛反対を喰らいボツになってしまった悲しきギタリストY君がいた事も忘れずに報告しておこう。

という訳で、最初にコピーするバンドは3人が共通で上げた「LUNA SEA」に落ち着く事になり、3の問題点も解決する運びとなった。
当然この時に曲を何曲かピックアップしてはスコアを買い漁り、年明けのドラムセット購入と同時にリハーサルできる様に着々と準備を進めていくのであった。

そして時は流れ高校2年生の時の正月。親戚中を練り歩いてかき集めた軍資金を片手に楽器屋に駆け込み、念願のドラムセット購入に成功して後はニヤニヤしながらブツが届くのを待つのみとなった。

そして翌日、静寂を切り裂く様にインターホンが鳴り、もの凄い量の荷物が我が家に運ばれてきたのだが、その光景を見てちょっとした問題が勃発してしまうのだが、それはまた次回。

続く

3104
足跡 その7
~前回までのあらすじ~
高校1年の終わり頃、ひょんな事から身の回りで沸き上がった「楽器ブーム」。これによって心の奥に引っかかってたドラムへの憧れを再び呼び覚ました私。中学2年の頃に閉ざされた扉を再度こじ開けようともう一度両親とのガチンコバトルへとなだれ込んでいくのであった・・・


その頃の家での生活といったら両親とは食事時にだけ顔を合わせ、大半は自分の部屋で音楽を聴いたり、マンガを読んだりゲームしたりと、年頃の男性諸君にありがちな生活スタイルだった。残念ながら学業に燃える訳ではなく、燻った煙を部屋に立ちこめるだけであった。

それでも両親は我が子に学業においてそこそこの所まで行って欲しいという願いは止む事なく、公立が落ちた事で更に強く言う様になってきてた。
もうこの時は顔を合わせる度に勉強の話になってて、食事の時すらもそれが止む事はなかった。
もし自分がもの凄く頭のがいい子か、もの凄いバカだったら親の考えも変わってただろうが、如何せん中途半端な頭の良さだった為に余計期待してしまったのかもしれない。

根っからの勉強嫌いなのに勉強を強いられる環境,もはや健全な精神状態を維持できなくなり、両親との話はいつも最終的に高校に通うのか辞めるのか?という流れになっていた・・・

だから本当に自分から両親に何かを話しかけるという行為が既に億劫だった。しかし今回のドラムに関してはたとえどんなことを言われても貫こうと心に決めていた。

夜中の居間に両親がいる時(当時は婆さん、両親、妹、私の5人家族)を見計らい、不意に自分の部屋から出てきて

森「自分で金を貯めて道具とか準備するから、今度こそドラムをやらせて欲しい。」

と切り出した。
両親は一瞬考え込んだが、今までずっと続いてきてる不毛な言い争いが一向に解決しないし、ダメ息子はドンドン無気力になっていってるというのを感じ取ってか、

父「まぁ・・・いいだろう」

とかなり渋々であったがようやく市民権を得る事に成功した。正直今まで生きてきてこの時ほど嬉しかった事はない。これから先の人生がどうなるのか分からなかったが、少しだけ未来に希望を持てる様になった気がする。
そして次の日の放課後、高鳴る鼓動を押さえきれないまま駅前まで自転車を飛ばして楽器屋で「教則本」「ドラムスティック」を買いにいった。(この時はちゃんと翌日に行った。)

本当はドラムセットが欲しかったのだが、そんな大金を持ってるはずもなく、かといってバイトは校則で禁止されていた。そこで考えついたのは正月の「お年玉」。これでドラムセットを購入しようと考え、その間までは教則本を読みながら家にある座布団やら雑誌をひたすら叩いて練習する事にした。

ようやく手に入れたドラムが出来る環境に喜びつつ正月までの約4ヶ月間は、部屋に引きこもる状況は変わらないものの、マンガやゲームで暇つぶしする事を置き去りにスティックを握りしめ、ひたすらシャドウドラムに明け暮れる日々に移り変わっていくのだった・・・


さてここからようやく音楽の扉に手をかけて少しずつ歩み始めていくのだが、その話はまた次回で紹介していこうと思う。


続く


3104
足跡 その6
このシリーズを書く為に最近色々と過去の事を思い出すのだが、いつも「ホントどうしようもなかったな~。」ってつくづく感じてしまう。
特に中学3年間と高校1,2年は書いてて情けなくなってくるほどである。とはいえ自らを見直すいい機会だというのと、これを見て少しでもニンマリしてる人がいる事を考えると、これからも赤裸々な昔話を続けていこうと誓うのである。
それでは本日は高校1年の続きからのお話を見ていってくだされ。



時は高校一年の終わり頃。前回の日記でも表記した通り無気力真っ只中で、勉強はおろか学校生活においても怠惰な暮らしを営んでいた。ここで私自身にもう少しアグレッシブさがあれば、「暴走族」とか「ヤンキー」などのバイオレンスに訴えて心のモヤモヤを晴らしてたかもしれない。しかし痛いことは苦手だしそんな事すらも面倒になっていた私には、ただただ流されるままな毎日が用意されていた。

当然成績に関しても例に漏れず、気がつけば学力テストの結果が45人のクラスメイト中40番代の順位(良くて39番)をキープし続ける絵に描いたダメ生徒であった(入学当時はそこそこ良かった)。


ちなみにこの時期に担任から
「お前は根っこがもう腐ってる」
というガラスのハートの持ち主ならリスカも辞さない迷言を言われたのである。

とはいえそんな事を言われても心に響かず、中学の頃からなじみのY君の家に入り浸って、あんなことやこんなことをして時間を無駄にしていた。

そんなある日の事、いつもと変わらず学校の授業もそこそこにY君の家に遊びに言ったらY君から
Y「今度俺ギターをやる!!!」
という決意を聞かされた。そしてそれに便乗するかのようにいつものメンツの中でも沸々と
「楽器ブーム」
が沸き起こってきたのであった。

Y君ギターに決定し、ベースにはK君M君、その他の友達もギターやらベースをチラッと弾くようになっていた。

とまぁ弦楽器のポジションは埋まってしまったのだが、私が長い間想い焦がれていたドラムのポジションが空席で、しかも

「お前YOSHIKIが好きだからドラムだよな?」

というお膳立てまでしてもらった。こうなったら私も俄然やる気がほとばしり、今回はどんな事があってもその意志を貫こうと思い立ったのであった。
そして親の承諾も得てない状態だったのに、

森「俺、絶対ドラムやるからみんなでバンドやろうZE!!!」

と安易な発言をしてさらに自分を追い詰めることになった・・・


それからしばらく時は流れ高校2年の夏ごろ、この頃には弦楽器の集団(Y,K,M君)は既に楽器を買い揃えていて、毎日Y君の家でコンポやちっちゃいアンプを使って物凄い量の練習をしてた。
しかもこの年は北国とはいえそこそこ暑い日が続き、Y君の部屋の窓は常に全開でCDやギターのボリュームも最大にしてたから外に筒抜け・・・
っていうのを繰り返してた毎日であった。(今考えるとよくクレームが来なかったなぁと改めて思う。)


こうした経緯を経て、ようやくアングラとはいえ少しずつバンドが動き出してきた。その姿にワクワクしながらも親に嘆願するタイミングを見計らいなが日々を過ごしていた私。そして遂にありとあらゆるものを振り絞り、親に全てをぶちまける時が訪れたのであった・・・


続く


3104
足跡 その5
~前回までのあらすじ~
ようやくこの「足跡」シリーズも高校生を迎える頃まで話がすすんだのだが、まだまだ楽器に触れるには至らず、今の世の中に溢れてそうな「何考えてるか分からない」青坊主であった。
さてこれからこの「死んだ魚の目」をした少年はこれからどういった経緯をたどるのであろうか?



そんな中迎えた高校受験。元々勉強が大嫌いだったのだが親の猛烈な願いには逆らえず、とある県内有数の公立高校私立高校を受験させられた。
そこは中々の偏差値の所で、受ける奴みんな頭よさそうだし勉強が好きそうな空気を放っていた。そんな中ポツンと一人場違いな空気を感じた私は、大方の予想を裏切ることなく公立高校受験は見事に「サクラチル」という結果に落ち着くのであった。


もう片方の私立の方には何とか受かり中学浪人の道は避けられて多少ホッとしたものの、進学コースと言う檻の中に閉じ込められる事になろうとはこの時思いもよらなかった。


そんなことは露知らず高校の入学式の日、自分のクラスに入ると物凄い負のオーラが教室を包みこんでいるのを感じた・・・
それもそのはず、私の高校のクラスは高校受験に失敗した人達が9割以上を占める編成だったからである・・・


ホントその時は正直まいったね、しかもこの進学コースが1クラスのみだったので、3年間同じメンツで過ごさなければいけないというオマケまでついてきた。
もう逃げられない現実(普通科への編入はナシ)と変わらない環境おどろおどろしい負のオーラのおかげで、今まで以上に気力や感動など健康な学生に宿りしものが、ゴッソリもってかれたような気がする・・・


まぁ最初がそんな感じだっただけで少し経てばバラ色のハイスクールライフが・・・なんて淡い期待をしてみたものの、一向に変化する兆しも無く終いにはそんな事を願うことすらもめんどくさくなってしまった。


その頃の音楽的嗜好はその頃の生活を反映してか、全体が暗い感じの曲や激しいものを中心に聞いていた。もちろん、中学3年の頃に一時冬眠していた
「自分を変えたい!!!」
という思いも徐々に起きだし、そして今回は追加で
「環境を変えたい!!!」
と強く願うようになっていた。


とはいえ基本的に面倒な事はイヤだし、行動に移すのもおっくうになってきた私。相も変わらず垂れ流しの日々を過ごす羽目になってしまったのだが、この先思いもかけない展開が待っていたのであった・・・



しかしこの話はまた英気を養ってから綴っていくことにする。


続く

3104
足跡 その4
~前回までのあらすじ~
一大決心で両親にドラムをやりたい事を伝えたものの、ものの見事に玉砕されすっかり意気消沈してしまった私。その後もたいして何かに燃える訳でもなく垂れ流しのような日々を送ってしまい気付いたら中学3年生。はたしてこれからどうなっていくのやら・・・



すっかり道路の雪も消えてそろそろ桜も咲き始める頃、晴れて中学校生活最後の1年に突入してしまった無気力少年の私。別にクラス替えで一喜一憂する訳でもなく、機械的に割り振られたクラスでこれからどう過ごすのか思案に明け暮れていたのが正直な所。
とはいえ最初の方は部活動の総体があり、最後の大会という事でそれなりに一生懸命だったし、修学旅行という最大のお祭り(しかし予想だにしない出来事がそこで起きてしまったのだが)もあったので音楽に対する情熱ややる気なんかは2の次だったような気がした。


そんな感じで前半は慌ただしく過ぎ去り一段落した中学3年の夏。その頃は部活も引退し放課後や休日の自由な時間はクラスの友達と過ごす様になっていた。
(ちなみにその時の友達が今でも盆と正月に帰省したら遊ぶメンツである。)
そんなある日一人の友達からとある人物を紹介してもらった。その人物が日記でたまに登場するY君であった。


一度も同じクラスになった事がなかったし、3年の時も同じクラスではなかったので最初はちょっと戸惑っていたのだが、彼の家が中学校からかなり近い位置に会り学校帰りに寄ったりする事も多くなり、いつの間にか私達の憩いのたまり場と化していた。


そんな流れもありつつY君の家に上がり込んでみたら、そこには驚きの光景が広がっていた。それは・・・




















彼の部屋におびただしい量のマンガゲーム、そしてCDが存在していたのであった。



その中でもCDは特に多く、100枚は下らなかったと思う。(今でも中学生にしては多いと感じる。)


そしてこれを機に彼の部屋から流れる音楽を色々聞いて、気に入ったものを買いにいくという感じで自らの音楽知識を広げていくのであった。
(ちなみに美春さんの存在を知った時もこの時期である。)


しかしながらこれがきっかけで
「音楽の情熱が再燃!!!親に再度トライ!!!」
という美談になる訳ではなく、気に入った曲を

カラオケで上手に歌えるようになる

という考えの方が強かった。(当時うら若き男子と女子が同じ場に集うきっかけがカラオケだったから)


またY君の好みが邦楽だったという事もあり、私のCDライブラリは邦楽が大半を占める様になった。しかもバンドユニット編成で男Voを好んで聞く様になっていた。


その頃のお気に入りはXはもちろんの事、
「LUNA SEA」
「黒夢」
「TMN」
「UNICORN」
「T-BOLAN」

などの「あ~、やっぱり!?」と思わせるような好みであった。


という感じで音楽に対する知識や許容範囲は広がっていったものの、演奏の方に関してはさしたる前進もないまま冬を迎え、ここで自身初の受験勉強に取り組む事になる。受験と音楽、一見無関係なポジションに両者は位置してるのだが、これがきっかけで私と音楽との距離がまた徐々に縮まっていく事になっていくのであった・・・


続く

3104

足跡 その3
~前回までのあらすじ~
「X」という存在を知り急速に音楽に興味を持ち出した私。その中でもドラムを叩くYOSHIKIに衝撃を受けて、自らもドラムをやってみたいと思う様になってきたのだが、その願いを叶える為にはどうしても両親の承諾という最大の難関が立ちふさがるのであった・・・



ハッキリ言って私の両親はごく普通の環境で育ち、実家が会社員や農家を営んでいるホント田舎によく見られる典型的な家族である。
ちなみに私の親父は多少アナーキーな所があり、会社員のくせに50歳を越えた今でも髪の毛が肩まで着くくらいのロンゲだし、おふくろも多少クレイジーなところ(例えるなら典型的なAB型)があるものの、子育て等に関しては厳格な部分が多かった(私が長男というのもあるが)。

なにかと各々の理想を子供にぶつけるというのはどこの家庭にもある光景なのだろうが、私には少々堪え難かったし、それが無気力になる要因の一つだというのも薄々感じていた。

両親は一応音楽は好きだったものの(とはいえ歌番組を軽くさらう程度)、そんな事に興味を持つよりも大学までいって,ちゃんとした社会人になって欲しいという願いの方が遥かに強かった。

そんな環境下においての今回の伺い、私は一大決意で両親に訴えかけてみた所・・・

















父「ダメダメ!!!勉強に支障が出るだろうがゴルァ!!!ふざけんな!!!」





と一蹴されてしまった・・・

とはいえこっちも相応の覚悟で訴えていたので、その後も必死に食い下がってみたものの、
「んな暇あったら勉強しろ!!!」
だの
「しっかり勉強して大学いけ!!!」
だの散々言われとりつく島もなく、今回は断念せざるをえなかった・・・


この頃から更に得意の無気力無感動に拍車がかかって、悶々とした思いのまま学校や部活なんかもなんとなーくこなす毎日が続くようになり、中学2年生という貴重な時間が失われていったのであった。


そして色んな事に関して諦め気味のまま迎えた中学3年生。ここで今後の人生を大きく左右する人達と出会う事になるのだが、その話はまた次回。



続く


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足跡 その2
時は中学1年の年末頃,そろそろ身近な友達も洋服やら音楽などに興味を示しだす頃なのだが、そんな時も私は今とたいして変わらずマンガゲームに勤しんでいる毎日であった。

そんな中周りが聞いてるから何となくという理由でCDを買い始めたのだが、たいしてこだわりや好きなジャンルとかもなかったし、カネもたいして持ってなかったのでCD一枚買うのにも一大決心だったのを覚えてる。

その為新たにCDを買う時は必ず友達から事前に情報を聞きつつ、入念な調査を経てから店に向かっていた。もちろんシングルなんて割のあわないものは買うはずもなく、もっぱら狙いはアルバムの方だった。

そんな感じで音楽通の友達から何が最近カッコいいのか聞いてたら、
「X」(当時はJAPANの表記はなかった)
がカッコいいよと言われCDを買う前にライブビデオを見せられた。

何にも知識のない音楽音痴の私に飛び込んできた映像には、それまで見た事のない激しい音楽狂喜乱舞する観客、そして









狂った様にドラムを叩くYOSHIKI







が写ってた・・・












それはまさしく
衝撃
という言葉以外何も浮かばなかった。




そしてその月のお小遣いが出たら速攻でCD屋に駆け込んだのを覚えてる・・・
(次の日とかじゃない所が悲しい現実である。)










もちろん中学校の時は運動部に入って放課後は部活動に明け暮れてたのだが、徐々に自らの運動神経のなさ体格の事(身長は真ん中より後ろで体重はガリガリ君)に気付き始め、

「夢中になるものが欲しい」
というのと
「自分を変えたい」
という思いが強くなってきてた。
そんな矢先の出来事だったので、大方の予想よりも速くXの音楽が私の心にドップリ入り込んできたのだと思う。



その日から私のプレイリストは「X」オンリーになる毎日にシフトチェンジしていき、それと当時進行で「自分を変えたい」という思いも強くなり、中学2年の頃にようやくここで













「ドラムをやってみたい!!!」



と思う様になった。
そしてその決意を胸に秘め、両親にお願いをする事になるのだが・・・













文字数の関係でこの話はまた次回。





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足跡 その1
相変わらず毎日ダメダメな感が絶えないのとツイてない出来事のオンパレードな毎日なのだが、今回からは自分の遍歴を時間と気力が許す限り書いていこうかなと思う(前回の日記でもチラッと昔の事を触れた事だし)。

別に大した歴を持ってる訳ではないし、全米が泣くほどの感動を与えられるとも思ってないが、不意に書いてみようかなという衝動が沸き、「鉄は熱いうちに打て」という言葉のとおりここは赤裸々な過去を紐解いていこうと思ってる。


今回はいつもの長編旅行記とは違いゴールがまだ決まってないので結末はどうなるかいつも以上に見え辛い。そのため皆さんもお気楽に眺めていって欲しい。





さてさて私が音楽に興味を待ちだしたのは小学校6年生から中学校1年生の頃。巷では「東京ラブストーリー」やら「101回目のプロポーズ」などでドラマの主題歌がバカ売れしていた頃である。

私が住む秋田の方でもその勢いは留まる所を知らず、中学校の時は昼の校内放送とかで流行の音楽が学校の安いスピーカーからガンガン流れてた。

それでもすぐに「楽器をやろう!!!」なんて思い立つはずもなく、ただただカラオケ用に覚えておこうってな感じだった。

そんな中,少ないおこづかいを叩いて2枚のCDを買ったのを覚えてる。当時はホントに何も知らなかったから友達に勧められるがまま「B’Z」「チャゲ&飛鳥」のアルバムを買ったのが始まりである。

そのアルバムはホントによく聞いてた気がする。例えるならCDのケースの開閉が激し過ぎて歌詞カードとか挟まってる方が270°くらいまで開く様になる位と言った所か。しかもまだ自分の部屋にCDを聞くステレオとか無かったから、大概居間にあるドデカイ親父のステレオを使ってた。

けれどもやはり今みたいに「今のベースフレーズが!!!」とか「今のブレイクがたまんねー!!!」などのオタク臭漂う発言など飛び出すはずもなく、何となく話題に乗り遅れるのが嫌だったからという理由の方が大きかった気がする。

その頃から既に無気力の兆候はバリバリ出ていて、毎日をダラダラ垂れ流し、やる気も生き甲斐も目的もない日々を過ごしていた。しかしながら心のどこかで「なんか面白い事ないかな~」なんて探していたのも事実である。そんなある日友達からとあるバンドを教えてもらい退屈な毎日に衝撃が走る事になるのだが、それはまた後日。



続く


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